聖書のお話 「覆いが除かれ、栄光から栄光へ」
申命記29章13〜15節

 「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」とのイエス様のおことばを聴くたびに、私はあのエチオピアの女王カンダケの高官の救いを思い起こします。使徒の働き 8章

 申命記23章には異邦人や宦官は、この救いからもれていたとあるが、しかし、時いたって、これらの民も御子への信仰によって、同じく救いにいれられる道が開け、同じく神の民とされる道が開かれた。イザヤ 56:1〜3。ペテロがコルネリオの家で、「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に入れられるのです」と宣言したことは確かであり、感謝なことである。彼らの喜びを、私たちも喜びとしたい。

 いまや、私たちは新約の時代に生かされている。私たちはキリストの十字架のゆえに変えられた。だから、神の御心は何か、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、思いの一新によって自分を変えねばならない。この時代にあっても、まだ、旧約に捉われている自分がいないかどうか、今朝、主の食卓に与るとき、一人ひとり、自分を吟味しよう。キリストにより贖われたとは、十分の十が主のものであることを明らかにしている。

 
2009.11.29(日)


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