私のまわりでは、昨年、3人の赤ちゃんがお生まれになりました。お母さんは赤ちゃんが日々、すくすくと育っているさまを頻繁に喜びをもって書き送ってくださっています。
昔の人が、「這えば立て、立てば歩めの親心」といったように、可愛いわが子が生まれた。だから、いつまでもこのままでいいとは親は決し思いません。子の未来に思いを馳せ、どのように育ってほしいかと、日々、祈りつつ、お世話をしているのです。
パウロは、まだ幼さの残るエペソ教会の信者に対し、「教会が愛によって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達し、召された者にふさわしく歩むように」私と一緒に成長しようと勧めます。この勧めは私たちにも向けられます。
神は教会があらゆる点において成長するように、その時に応じて、さまざまな役割をもつ人たちを備えてくださっています。
使徒の働きには、「みことが拡がっていった」との表現がありますが、今から50年も前に、マッギャヴラン博士は、そのことを研究する宣教学を人間の手垢にまみれてしまったとして捨て、いみじくも「教会成長」という理念を提言された。残念ながら多くの人が誤用しているが、今、改めて噛みしめる要があろう。
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