パウロのコリント伝道の後、神は彼をより厳しい伝道の場、エペソにそれも一番長く、3年にもわたって送りだしています。
本来、神の都であるべき所が、サタンの都になっていたのを神は決してお見捨てにならなかったのです。
エペソは大きな港のある商業都市、ローマから自治を認められていたほどの有力な都市であった。それ以上に、女神ダイアナ=アルテミスの神殿があった喧騒と不道徳の都市で有名あった。
パウロはツラノの講堂で2年も続けて論じたので、アジアに住む者はみな、ユダヤ人もギリシャ人も主のことばを聞くを得た。
後にパウロがエルサレムに上るとき、時間がなかったので、エペソの長老たちをミレトに招き、熱烈な訣別の説教をしている。使徒の働き20:18から36まで繰り返して熟読してください。
この手紙は私たちに向けても書かれているのですから。
後に、老ヨハネは、「あなたは初めの愛から離れてしまった。どこから落ちたかを思いだし、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」とエペソの教会に警告している。私たちも邪悪な世界に生きているが、託されている偉大な使命を果たせるよう、主にあって、その大能により、強められるよう、互いに祈りあって進もう。
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