聖書のお話 「聖書」〜臨床のときも〜
ヨハネの福音書 8章12節

 私たちの大先輩でいらっしゃるセーラ・アンドリュース宣教師は蒲柳の身ながら、輝かしいお働きをなされたお方です。

 日米間で戦いが始まると、在日宣教師はぞくぞくと退去命令を出され、後ろ髪引かれる思いで離日しましたが、同姉は病弱の身から長い船旅に耐えずと乗船させられず、静岡大岩教会の一室に殆ど軟禁され、生死の境をさまよう状態でいましたが、日本の敗戦後、すぐに同信の米兵士によって助け出されたお方です。

 同姉はすでに静岡に三つの教会を建てておられましたが、戦後は沼津に進出、四番目の教会を建てられ、そこにお住まいでした。

 お年を召され、地上を去る日が近い時、ずっと口ずさんでおられた聖書のおことばが詩篇103篇でした。お世話なさっておられたB宣教師より、そのお話をお伺いいたしましたとき、若かった私は感激すると同時に、自分だったらどうであろうかと、背筋に冷たいものが流れたことを今も思い起こします。

 最後の時にも、よりたのめる、「いのちのことば」を持つ者はなんと幸いであろうか。最後の時に「主をほめたたえよ」といえる者はなんと幸いな人であろう。聖書はまさに、最後の時に、あなたが頼れる「いのちのことば」−ピリピ 2:16−です。

 
2009.01.25(日)


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