べテスダの池のそばに38年間もの間、病床にいる男がいた。それを知ったイエスは、「よくなりたいか。」と問う。これは、おかしな問いだが、ここにこそ豊かないのちに与るための第一歩即ち、自分が心底から望んでいるかどうかという秘密がある。
第二に、彼は自分がよくならないのは、誰も助けてくれる人がいないからだと人を恨み、人のせいにして、問題を解決するカギが自分のなかにあるとは少しも思っていない。
それをご覧になられたイエスは、「(自分で)起きて、(自分で)床を取り上げて(自分で)歩きなさい。」と命じられると、彼はすぐに直って、歩き出した。彼がこのことで、イエスに感謝したかどうかは分からない。これはその後、今に至るまで、多くの人が神の恵みに与りながら、なんの応答もしていない人々と似ている。その日が安息日であったので、彼に聞いたユダヤ人たちは、それを問題にして、イエスを迫害したとあるだけである。
イエスは、このことを通して、安息日であろうと、わたしの父なる神は働いておられ、ですからわたしも働くと、ご自分が世に下ってこられ、人となられた神であることを宣言なされた。
イエスは多くの人が聖書の字を読んでいながら、そのみことばを自分のうちに留めず、あなたがたは豊かないのちを得るために、わたしのところに来ないと、このことを使って戒められたのだ。
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