子どものころ、「だれか風を見たでしょう?」と歌いだす歌を不思議な思いをもって歌ったことを鮮やかに思い起こします。
原詩はイギリスのクリスティーナ・ロゼッティ。敬虔なキリスト者であった彼女はヨハネ3章8節のイエスとニコデモの会話にでてくる風から、詩想を得たのではないかと私は想像します。
「風は・・」との思いもよらぬイエス様のおことばに、さすがのニコデモもうろたえ、追いかけるように、「イスラエルの教師でありながら、どうして分からないのか。」と言われてしまいます。
新しく生まれる、永遠のいのちをいただくことは、神のなさることですが、これこそ、あのペンテコステの日に実現したことでした(使徒 2:38)。それはちょうど風になびく草木のように新しく生まれ変わった人の生き方によって、人に知らされます。
ニコデモは7章に再登場し、イエスを非難する人々の前でイエスを弁護する勇気を見せました。最後は19章で、アリマタヤのヨセフとともに、十字架からとりおろしたイエスのなきがらを鄭重に葬っています。ヨハネが3:16で、聖書の珠玉の言葉を書いていますのは、その後のニコデモを暗示している気がします。
豊かな生命、それは人間の知恵、力ではなく、ただ、主イエスの十字架のゆえに、今も全世界の人々に提供され続けています。
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