サウロ、後のパウロはどのような男でしたか? 使徒の働き 22章3節以降には自分がどのような男であったかを、エペソ 3章11節以降は、そのような男が主の福音を宣べ伝えるものと召されていった事情をつまびらかにしているところです。
「キリストの測りがたい富」を知ったパウロは古いものを一切かなぐり捨ててしまいました。ピリピ 3章4節以降に、その覚悟のほどを見てください。パウロにとって、ふさわしい歩みとは、このようなことを経て出てきたものです。
召しにふさわしい歩みとは、強制されたものでは決してなく、そこに歩むことが嬉しくなること、特権と思う歩みです。
しかし、ときとして、救いに与り、新しく変えられた者も試みに負け、再び後戻りしてしまうことがありうるのです。ですから、パウロは、ガラテヤの人々に書き送りました。「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきりと示されたのに、だれがあなたがたを迷わしたのか。あなたがたはどこまで道理が分からないのか、御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのか。」と叱責します。
主イエスは、「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い。」と仰いました。キリスト者としての歩みは喜びの歩み、そしてあなたを見る人たちもその喜びに加えられて行く歩みです。
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