1〜3節はなんと荒涼とした景色か! 「しかし」で始まる4節以降は際立ったコントラストで描かれます。神は怒りの神であると同時に、限りない憐れみの愛の神でいらっしゃいます。
「ゆえに」とは、この愛こそが私たちをお救いくださった神の動機であると説明します。死とはいのちの源である神との断絶に陥ったことをいいますが、愛の神はキリストの十字架により、私たちをそこから引きあげてくださり、キリストの復活に加えてくださいました。ガラテヤ 2:20も参照してください。
神は私たちを救われたのみではなく、豊かな栄光を継ぐべきものと備えてくださいました。そこは、立って一休みするところではなく、じっくりと腰を下ろして休めるところです。感謝!
キリストへの信仰とは、その知らされたことを喜んで受け入れ、それ以後、揺れ動くことなく、全て従って生きることをいいます。
パウロは、1節ではじまったところを、10節で結びます。あなたはだれですか? 時に人は言います。「生まれ変わって」と。あなたは生まれ変わりました。あなたはあなたが思う以上の神の作品=マスター・ピースです。参照 コリント U 5:17
パウロは、「私は、私を強くしてくださる方によって、なんでもできる。」と言いました。あなたもです! ピリピ 4:13
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