「祈 る」 −祈り 2−
詩篇 5篇 1〜12節

の祈り、焚き火の上を渡りながらの祈り、幾日も断食しての祈り、異言の祈り。どれも人の目を驚かせます。

 聖書をみましても、列王記 T 18章にある、カルメル山上の450人のバアルの預言者、アシェラの預言者400人などは血を流して、壮絶な祈りを唱えていました。私はそのような祈りを信じません。どんなに激しい祈りでも、祈り、そのものに意味があるわけではなく、虚しい自己満足に過ぎないからです。 真の神を知り、そのお方を畏れ、そのお方にすべてをおゆだねすることができるときに、初めて神への祈りが成り立ちます。

 あるとき、弟子たちが、イエスに、ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてくださいと願った。

 イエスの教えはあるいは弟子たちの期待を裏切る単純、素朴なものであったかも知れない。しかし、わずか6行のこの祈りを祈るには、絶対的な真の神への信仰が求められます。イエスは、求め続けよと教えられましたが、それは徹底して信じぬく信仰の上にのみ、祈りが成り立つことを教えています。

 祈りとは、口から出る音ではなく、あなたが主に従って生きる日々の生活から出てくる、忍耐と成就の歓喜のほとばしりです。

 
2008.07.13(日)


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