「私が望む教会は」−イエスの生涯−
使徒の働き 2章38〜47節

「そして」という言葉から、42節は始まる。これは弟子に加えられた人々がすぐに行動し始めたことを示す。彼らはこの新しい生き方に熱心であった。手本とする教会も、成文化された新約聖書もまだなかったが、今までとは全く違った世界に、それこそ行く方も知らずして、出発していった。「堅く守り」とは、使徒たちを通しての聖霊の教えを聞くことへの献身、主の初めの日の主の復活を感謝するパン裂き(礼拝)への献身、イエスにあって、兄弟姉妹との交わり、日々の祈りすべてにかかる言葉である。

 それは第一に礼拝となって現れた。主のよみがえられた日、この日を特別の日とし、一切のことから離れ、罪人の自分が贖われたことを今のこととして感謝し、献身の思いを深くし、同信の兄姉とキリストの一つからだに与る喜びを分かち合っていた。

 それゆえにクリスチャンとは礼拝する人と定義されよう。礼拝はキリスト者の出発点であり、また、ゴールである。このことに関してどのような弁解も理屈も存在し得ない。

 彼らはエンターテイメントではなく、主をたたえるくちびるの実、讃美を常に捧げていた。財を捧げる特権にも与っていた。

 順序を定め、儀式化した礼拝、忙しいからと時間を気にした礼拝、今の私たちといかに違うか? 目標とする教会をつかもう!

 
2008.05.11(日)


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