「生ける水の川が流れ出る」−イエスの生涯−
ヨハネの福音書 7章37〜38節

 イエスさまのおことばは唐突に聞こえましょうが、これは仮庵の祭りの終わりの大いなる日に、ギホンの泉から流れ出てシロアムの池に至った水を、祭司が黄金の水差しに汲み、イザヤ書12章3〜6節を大声で唱えながら、それを頭にかかげ、丘の上の神殿に携える儀式が厳かに執り行われたのです。民は詩篇 113〜118篇を歌いました。昔、荒野の放浪のとき、主が水をくださったことを(出エジプト 17:1〜6)覚え、祝ったのです。  主イエスは立ち上がられ、その祭をさえぎり、言われました。皆よ。この水の中にいのちがあるか? ない! わたしを見よ。まことのいのちは、このような昔ながらに伝えられた儀式にあるのではなく、わたしにこそある。だから、「だれでも渇いているなら、わたしのところに来て飲みなさい!」と叫びました。   サマリヤの婦人に話されたごとく、いのちの水は天のみ国で味合う幸いの先取りである。ヨハネの黙示録 21:6。  主を待ち望む者よ、

1、私たちは本当にイエスへの魂の渇きを知っているか?
2、イエスこそ、まことの渇きを癒されるお方。そればかりではなく、その人からいのちの水の川が流れ出る。
3、来たれ!飲め! 主のみ旨をおこない、そこに加わる時、私たちは主のものとなる。

 
2008.04.13(日)


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