「ゆり」−聖書にでてくる庭の植物−
ルカの福音書 12章27〜31節

  教会の庭には、ヤマユリ、スカシユリ、コオニユリ、カサブランカが咲くが、多くの注解者の意見では聖書のここに言う「ゆり」はどうもユリ科、ユリ属ではなく、あの辺に多いアネモネではないかという。実際、イエス様はみなが知っている事物を用いて喩え話をなされていますので、私もそのように思う。
  以前、植物友の会の飯泉先生と親しくさせていただき、また軽井沢植物園の佐藤園長に教えられたりしながら、私の長男は小学生時代、植物採集を行っていた。特に何年もかけて軽井沢の植物の半数近い標本を作ったことがあって、今でも保存してある。
  しかし、自然保護が叫ばれ、その後は植物を採ることは止めて、私だけが写真に撮ることになった。やがてマクロ・レンズを手に入れ、野の花の接写が始まるにつれ、イエスさまが、「ソロモンでさえも」とおっしゃったことが実感されるようになった。
  その栄華を窮めたソロモンの晩年の言葉に耳を傾けよう。彼は創造の主よりも、その被造物に心を奪われていたが、省みるに、風を追うようなものであって、なんと虚しいことかと告白する。
  ソロモンの栄華と明日には燃やされてしまう野の花の美しさとの対比から、私たちは、「すべてのものを創られたお方により頼むか、それとも、その被造物により頼むのか。」と迫られる。
  主は神の国と神の義をまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、神無きものが求めるようなものは、すべて与えられるとお約束くださる。だからこそ、「しかし、私の思いではなく、み心の通りになさってください。」との祈りが重要になってくる。
 
2007.12.23(日)


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