「いばら」−聖書にでてくる庭の植物−
マタイの福音書 27章29節

 会堂の入り口に、「ノイバラ」があり、今は真っ赤な実がきれいですが、これはあの冠となった、いばらではありません。
  いくつか候補がありますが、バラ科、トゲワレモコウという潅木があります。これはイスラエルの兵士が野営のとき、長いとげを押しつぶしてマット代わりにしたといわれ、これが有力です。
  以前、聖トマス教会合唱団、ゲバントハウス管弦楽団のマタイ受難曲演奏会に招待され、感動したことがあります。なかでも、ゲールハルトの詞によるコラールは讃美歌 T 136番にも取り上げられてあり、深く、深く胸に響いたことでした。
  いばらの冠を押し込まれた頭からは血がしたたり落ち、さげすまれ、ののしられ、ゴルゴタの丘に引き立てられる主。
  イザヤが53章で預言するように、誰が主の十字架をこの私の罪の贖罪のためと知っていたか。口ではユダヤの王、万歳といいながら、なんと邪悪と無知にみちていた口であったことか。
  彼等は神の預言を読んではいたが、その意味を気にも留めなかった。いまも巷には、「メリー・クリスマス」の声が交わされ、クリスマス・キャロルが響くが、多くの人々は同じである。人の悪が昔もいまも変わらないことを痛切に知らされます。
  勿論、主の地上での誕生は大切なことです。しかし、今、私たちは、もっとも大切なこととして、主の十字架と復活を宣べ伝えなければなりません。人間が定めた年中行事ではなく、父なる神が御子をして語らせ、見せられたこの福音を今日も告知する!

 
2007.12.16(日)


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