「サフラン」−聖書にでてくる庭の植物−
イザヤ書35章 1〜10節

 教会の庭に咲く、サフランはアヤメ科サフラン属であるが、イザヤ書や雅歌にでてくるサフランはユリ科コルキカム属であると「イスラエル花図鑑」にある。どちらも秋から冬にかけて、似たようないろどりでもって、枯れ野を飾る花である。 イザヤ書34章は神から離れた民の裁きが宣言されているが35章は神の憐れみにより、神ご自身が来られて、罪の故の捕らわれ人を贖われ、再び彼等に神とともにある喜びと讃美をもたらすさまが美しく描かれている。
@神がともにおられるところほど美しいところはない。
A神がともにいらっしゃるところには、まことの救いがあり、励 ましがある。神は全能の神であり、信じ、従う者を救われる。
B神がともにいらっしゃるとき、最悪の状況にあっても、絶望の さなかにあっても、輝く、希望のかなたへと導かれる。 イエス様が地上においでになられましたとき、お見せくださ った、さまざまな奇跡を今は、見ないかもしれないが、障害を もって人生を悲しんでいた者を、他を励ます者と変えられる。 病の床にあっても、喜びの祈りの者へと変えられる。死の墓さえ、次に迎える栄光への門と変えられる。
C神の中に生かされるとき、全能の神のみ力が、私たちを取り巻くので、誰も彼を傷つけることも、怖がらせることもない。
  バビロン捕囚から帰還した民のエルサレム再建のごとく、私たちもイエス・キリストの教会を建て上げよう。エペソ 2章。

 
2007.12.02(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会