ゆだねて、大丈夫?
ローマ人への手紙 9章33節

 秋になると、国民学校四年でここに疎開してきたことを思い出す。従兄弟のまこちゃんが、さっそく山に行って木登りを教えてくれた。何回も高いところからずり落ちた。それは枯れ枝に気づかず、つかまって登ろうとして、折れたからである。  この経験は後の丹沢の沢登りでの草つきや、北アルプスなどの岩場を登る時に随分と役立つことになった。

 日本には、「念には、念をいれよ。」とか、「石橋を叩いて渡る。」といったことわざが随分あるが、こと信仰になると、寛容というのか、考えなしというのか、お構いなしである。

 もっとも日本には、宗教はゴマンとあるから、全部を試すことは無理。しかし、ぶどうからいばらが採れないように、実によって私たちは木を見分けることができるのだが、「そんなことはかまわない。大切なのは、信じるという心だ。」というのが、わが国では大勢を占めている気がしてならない。

 パウロは、「私は彼等が神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではない。彼等は神の義を知らず、自分自身の義をたてようとして、神の義に従わない。」とローマ 10章で警告している。

 あなたが今、身を委ねているものは、本当に大丈夫ですか?

聖書に啓示される神は、たとい、あなたが不真実でも、あなたに真実を尽くされるお方です。この神に私はすべてをゆだね、あなたにも、このお方にゆだねますようにお勧めしたいのです。

 
2007.09.09(日)


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