「ゆだねる信仰」―小幡幸和―
ペテロの手紙 T 5章6〜7節

 傷心も癒えず、新たな勉学を志し、渡米した内村鑑三はそこで、J・H・シーリーと出会う。シーリーは、「内村よ。君はいつも自分の内側だけを見ている。外に目を向け、十字架において君を贖ったイエスを見ないか。植えた木が根付いたかどうか、繰り返し、引き抜いて確認していたのでは、着く植木もつかないで、やがて枯れてしまう。植えた後は太陽の恵みに委ねなさい。」と。

  主イエスは「明日のための心配は無用である。」と仰いますが、それでも、私たちはついくよくよと思い煩うのが常です。  ペテロの言葉に聴いてください。「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」 ここに信仰の真髄があります。

   ペテロはあの晩、ゲッセマネの園でイエスを守ろうと剣を振るいました。しかし、復活の主イエスにお会いしてからは、ガラッと変わりました。  ヨハネは福音書21章18節を指して、これはペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、主が言われたことであると19節に証しをしています。信仰とは、自分ではなく、主にすべてを委ね、主に従いぬくことです。(文責 小幡史朗)

 
2007.09.02(日)


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