喜んで始め、祈って続け、 完成を待ち望む。
詩篇126篇



 4年前にここ榛名の地に主の教会を建てさせていただき、まもなく会堂までもいただけましたことは、私たちにとっては夢のようであり、大きな喜びでありました。初めはどこに導かれていくのか分かりませんでしたが、今朝、このように敬愛する兄姉とともに礼拝を捧げられますことは奇跡にも思えます。しかし、今日の聖句はそれで安心してはいけないと私たちを励まします。

 126篇はイスラエル民族のバビロン捕囚からの帰還、そして城壁と主の宮の再建を通して、今の私たちの使命を悟らせます。

 誇り高き彼等は捕囚の地にあって、神殿もなく、ただ、神のみことばに聴き、あざけられながらも、主なる神のみに頼るように変えられていきました。まさに涙ともに種を蒔いていたのです。

 時が変わり、バビロニアはペルシャに滅ぼされ、イスラエルの民は帰還を許されましたが、最初に帰った人たちが見たものは、無残な廃墟であり、人々は前途をはかなむほどでした。

 しかし、神はその中から信仰の人々を選ばれ、復興に立ち上がらせました。エズラ記、ネヘミヤ記を読みますと、いかに神が忠実なものをお用いられたかを知らされ、息を呑むばかりです。

神がお望みになることは、私たちがこの世で成功することではなく、神に忠実であり続けることです。そのとき、主に託されたことを全うすることが出来ます。信仰者にとり、成功とは主に対して忠実であることと同義語です。私たちに託された務めを全うするために、詩篇126篇の教えに従って、前進しよう!

 
2007.07.01(日)


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