主は私の羊飼い
詩篇 23篇

 ダビデは詩篇 23篇で、神と私との密接な関係を、詩篇のなかの真珠といわしめるほどに高らかに歌い上げています。

 ダビデは子どものころ、羊飼いとして過ごしていたことを思い出しながら、まだ、聞かぬ主イエスの、「わたしは良い羊飼いです。よい羊飼いは羊のためにいのちを捨てます。」とのおことばを知っていました。今、主なる羊飼いに養われる羊とされたことに、感謝し、自分をその羊として素直に受け入れています。

 神がお約束された愛と恵みは、彼がどこへ行っても、いつも追いかけてきていましたので、彼は何の乏しさを覚えませんでしたから、明日も私は神とともに住まわせていただくと告白します。

 ここでダビデが何回も、「私」ということばを出している意味を考えてください。ダビデは神と私の関係はきわめて個人的なものであると大胆に告白しています。あなたは群集のなかにまぎれている人ではなく、神がはっきりと目に留められている存在です。ダビデはそのお方に結びついているもののみが得る平安、即ち、歓喜の絶頂にいようと、悲しみのどん底にいようとも、神のしもべが与る平安を確信して、喜び歌っています。

 そればかりか、主は私のすべての必要をご存知であり、全てを備えてくださっておられ、私の望みを成就してくださると宣言します。もし、神に不満があるとしましょうか、それは、神が伸ばされておられるみ手をあなたが喜んでいただかずに、振り払っているからであると、私たちの目を覚まさせているのです。

 
2007.05.13(日)


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