幸いな人となる
詩篇 T篇

 パウロは主のパンと杯をいただくにあたり、「ですから、一人ひとりが自分を吟味して」とコリント T 11章で教えますが、

第一篇はまさに、今、あなたはどこを向いて歩いていますか? どのような時の過ごし方をしていますか? だれと歩んでいますかと、あなたが幸いな人となるべく、自己吟味を迫ります。

 また、第一篇は詩篇へのポータル・サイト。神により頼む人の幸いを説いて、詩篇全体を指し示す入り口ともなっています。

「幸いなこと」、原意はまっすぐに歩むという動詞から来ているといわれ、「愛」と同じく、単なる抽象的、静的な名詞ではなく、具体的、動的、人格的な意味を含むことばです。

 よく親が、「この子は人様に迷惑をかけない子に育って欲しい。」と言います。第一篇も幸いな人への道として、一節には消極面を挙げていますが、それ以上に大切なこととして、「主の教えを喜びとし」、「昼も夜もその教えを口ずさむ」と二節に積極面を強調しています。

 三節の豊かなおことばを味わってください。多くの人が勘違いをしていますが、律法、神のおことばの目的は、それを守る人を幸いにすることです。マタイ 5章の主イエスのおことばも合わせてお読み下さい。主の教えを日々、守る時、そこには平安、実りの豊かさ、生きる力が与えられ、霊性の豊かな人、すなわち神の人となって、朽ちることのない宝をいただき続けるのです。

 
2007.04.08(日)


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