私は自分の弱さを誇る
コリント U 11章17〜30節

 昔、村にみんなから馬鹿にされていた弱い大男がいました。後に彼は暴力団に入り、ドスを腹巻にはさみ、「俺はもう、怖いものはない!」といっていました。今、思いますと本当にかわいそうなことです。その後、彼は若くして亡くなったと聞きました。 人はだれでも強さを求めます。書店にいけば、「こうすればあなたも強くなれる。」といった類の本がベストセラーです。このような傾向が残念ながらコリントの教会にもありました。

 パウロは、あなた方が力を誇るのなら、私はそれ以上だとあえて誇り、ついで、その誇りがいかに虚しいものであるかを説いていきます。後に書かれたピリピ人への手紙にそのときの心情を見ます。「しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。」と。

 主イエスの十字架はユダヤ人にとっては躓き、異邦人にとっては愚かなものでした。しかし、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い。」と断言します。確かに、人の目から見れば、主イエスも弟子たちも弱い人たちでした。主の十字架はその弱さのシンボルとも見えたでしょう。しかし、感謝すべきです。神は、十字架において死を滅ぼし、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を賜ったのです。私たちの弱さこそ、神の力が働かれる機会です。「わたしの力は、人間の弱さのうちに完全に現れる。」とのお約束は今もあなたに生きています。

 
2007.03.25(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会