この恵みのわざ
コリント U 8章 1〜9節

 そういうわけですから、兄弟たち。私は神の憐れみのゆえに、あなたがたにお勧めします。あなた方のからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物として、神のお傍に置かせていただきなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝ですとパウロはローマの教会に、そして今の私たちにも勧めています。

 かつてはキリストから遠く離れ、この世にあって望みも無く、永遠の滅びに向かっていた私たちですが、キリストの十字架が、神と私たちの間にあった隔ての壁を取り除き、私たちを父なる神のみもとへと近づくことを得させてくださいましたことを知るとき、私たちの考え方は変わってきます。ローマ 12:2

 パウロが献金のことを、「恵みのわざ」といいましたことも、その変化の一つです。私を教えてくださったビックスラー先生は神に献金を捧げられることは、キリスト者の特権であるとよくおっしゃっていましたことが今も私の心に深く留まっています。

 日曜日の礼拝に献金の時があります。私たちは心に応じてお捧げいたしますが、それで、「あとはよろしく。」ということではないのです。むしろ、私の全てをお捧げいたします。神よ。どうぞ、私を用いくださいとの祈りが同時にあることが肝腎です

。  天地万物をお創りになられた神に、こんな私がお用いいただけるとは、とんでもないことです。ですから、献金は神になにかを差し上げることではなく、あなたが恵みに与る大切な機会です。

 
2007.03.11(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会