弟子たちも分からなかった
コリント U 6章 1〜10節

 ちょうど、イエス様が墓から復活なさった日、二人の弟子が、エルサレムから11kmあまり離れたエマオという村に向かっていました。彼等は夢破れて故郷に帰っていったのでしょう。事実、ペテロたちも、またガリラヤ湖の漁師にもどるといっていたのです。人々は不思議なことをなさるナザレのイエスをこの世の王にと熱望していましたから、奇跡も起こされずに、あっけない十字架上の死は弟子たちでさえ失敗と捉えていたのです。  人間の作った宗教はこの世の栄華を誇っています。「寄らば大樹の蔭」で多くの人々が、ますます集まってきています。

 聖霊がパウロに記せしめたことば、「人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ。生きており、悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。」をご覧ください。なんと世の宗教と対極をなしていることでしょうか。

 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。」と天にお帰りになられる主イエスがお約束くださいました、おことばは今もあなたに生きいきと語られています。

 主イエスは人間が恐れる死を滅ぼされた勝利者です。その勝利の行進にあなたも招き入れられています。目に見えるものに囚われるとき、大切なものは見えなくなります。あなたがたは目に見えないものにこそ目をとめ、主とともに今週を歩んでください。

 
2007.03.04(日)


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