「一つのからだ、多くの器官」
コリント T 12:12〜27

各自が与えられている賜物の優劣を競っていたコリント教会の人々に対し、パウロは教会を体にたとえて、強く諭します。

「たとえ」とは天のことを地上の一つのことをもって説明しようとするもので、極端に広げて解釈しないよう注意が必要です。

パウロは、主の教会に属す各自はそれぞれが独自の役割を与えられている貴重な存在であると声を大にします。指を一本、切り落としても死なないが、心臓をなくしたら死ぬ。だから、心臓のほうが大切だと言うお話ではないのです。体にはいろいろな器官があって、成り立っているように、主の体である教会にも不要な人はいません。そこには互いにいたわりあう、見事な講和があります。一つの部分が苦しめば、全ての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべとの部分が喜ぶとはなんと麗しい表現ではありませんか。あなたは主の家族の厄介者でも、疎んじられている預かりっ子でもありません。神がご自分の血を流すほどに愛してくださっている、大切な存在です。そして、隣の人もそうです。
 
2006.11.26(日)


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