「最後の晩餐?」
コリント T 10章16〜17節

  主の食卓。これは出エジプトを起源とし(出エジプト 12:24〜27)、長い間、選びの民イスラエルがその記念として行ってきたものですが、私たちにとりましては、これこそ、週の初めの日に信者たちが集い、主の十字架の勝利にお招きをいただく時、聖日礼拝の中心であります。

レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画で最後の晩餐が有名になってしまいましたが、あの晩、主イエスが弟子たちとともにとられた過ぎ越しの祭りの食事に主は全く新しい意味をお与えくださいましたので、今の私たちには最後の晩餐ではなく、むしろ、「主との交わりの最初の食事」となったのです。

 あの晩、弟子たちは主のおことばの意味が全く分かりませんでしたが、復活の主にお会いしてから、一番大切なものとして、これを中心に週の初めの日に救い主イエスに感謝を捧げる礼拝を始めました(使徒 2:42、20:7)、しかし、時間とともに乱れてきたとき、聖霊は改めてその重要さをパウロをして書かせました(コリント T 11:17〜34)。

これはたんなる儀式ではありません。主の十字架の赦しを再確認し、主の復活の命に与り、私たちが主にあって、再び一つとされたことを感謝するときであり、主の再臨によって救いが完成することを待望するとき、ですからこそ、その日までに一人の人をも、救いに取り残されないように、世に主の福音を告知する決意の時であります。
 
2006.11.12(日)


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