「神はあなたを宝とされた」
コリント T 6章 19〜20節

 クリスチャンにとり、自由とおきてという長い戦いがあります。ある人は全て律法の世界に生きようとし、これはしてもよい、これはだめという長いリストを作ります。パウロはこのような人について、コロサイ 2:18〜23において、神の前においては何の価値もないと断じます。

その反対の人もいます。私たちは自由にされたのだから、全てを思うままにしてよい。禁じられているものはなにもないと

 パウロは、このことにつき二つの原則を教えます。一つは、しても悪くはないが、自分に益をもたらさないものがある。二つ目は、どんなことも許されてはいるが、あるものは、それをすることによって、自分がそのことの奴隷になってしまうことを知れと。自由とは何か、パウロはこの点をガラテヤ 5:1、13節によく教えていますから読んでください。

 あなたは神に創られ、神の目的のために存在している。あなたはキリストのみからだの一部ですとパウロは宣言します。この意味は重要です。神はかつてはエルサレムに住まわれましたが、キリストの十字架の贖いにより、今はあなた自身のうちに聖霊の神として住まわれる。あなたは至聖所、あなたは神のご栄光を現すべき神の宝の人とされたのです。

 
2006.10.22(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会