「神の忠実なしもべ」
コリント T 4章 1〜5節

 私たちはみな、神の忠実なしもべでありたいと願っています。その忠実さはどうのように判断されるのでしょうか。

 私は私の良心に誓って、やましいことはなにもないからと言いますか。確かに、パウロは、「今日まで、全く清い良心をもって生活してきました」と使徒 23:1でいっていますが、ここ4節では、「だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」といい、だから、「あなたがたは主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。」と続けます。

 恐らく私たちがもっとも犯す評価は人間の目を気にすることではないでしょうか。パウロは、「私は人に取り入ろうとしているのか・・歓心を買おうとしているのか・・もしそうならば、私はキリストのしもべではない。」とガラテヤ 1:10で言い切っていることを肝に銘じ、また、パウロが、愛する弟子テモテに書き送った戒めをご覧ください。Uテモテ 4:3。

 私たちは自分の忠実さを自分の良心や人の評判で決めることを止めよう。大神学者のことば、教会の伝統にさえも、信をおかず、ただ、いのちのみことばに懸命に聴き従っていく先に、神からの称賛が届きます。

 
2006.10.15(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会