「見よ。わたしは新しい天と地を創造する」
イザヤ 65章17節

 イザヤは続けます。「先の事は思い出されず、心に上ることもない。だから、わたしの創造するものを、いついつまでも楽しみ、喜べ。」

 これは想像も出来ないほどの歓喜のときです。同時に恐ろしいさばきのときでもあります。

 新しいということは、時間的に新しいとかではなく、前のものとは根本的に異なるもの、前のものとは関係ないものを言い表します。

創造もそうです。これは今あるものを材料にして違うものを作るとか、改良型をつくるということではなく、無から創り出すことをいいます。

 この意味を知るとき、厳粛な思いにされます。毎週、定期的に教会に通い、礼拝を捧げていたとしても、それでもって、終わりの日、裁きの主に、「よくやった。」とお言葉をいただけるかどうかは、分かりません。

  イエス様の良い麦と毒麦のたとえがマタイ 13章にありますが、毒麦も収穫の時まで、抜かれずにあるのです。もし、私が良い麦でなかったとしても、良い麦に変われる機会が、今、与えられています。ペテロ U3章。今日という日に互いに励ましあい、最初の確信を保ってください。

 
2006.09.03(日)


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