「主の恵みの年と裁きの日」
イザヤ 61章 1節〜3節

 イエス様は愛の神です。愛の反対は何でしょう。いくつあげることが出来ますか。大切なことは、『神の愛』とそれら、もろもろのものとは相容れることがないということです。

愛にはそのような厳しさがあります。ところが私たちは愛ということばをいいながら、その全体像を見落としがちです。  2000年前にイエス様は救い主としておいでになられました。そして、いつの日か、その救いを完成なさるために、再びおいでになられます。それを別のことばで言いますと、「裁きの日」となります。

 ルカはバプテスマのヨハネがその日を説明したことばを、その福音書3:17に書きとどめています。「手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」と。

 先日、バーナード兄が庭の草取りをしてくださいました。サツキなどの植木や植えた草花はさっぱりして、喜んだでしょう。ですが、その草取りはいわゆる雑草にとっては、恐ろしい滅びの日となったのです。

 あなたはイエス様を知って喜んでいますか? 終わりの日は突然やってきます。その日、あなたの愛する方が滅びにいれられましたら、あなたはどんな気がしますか? その悲しみに耐えることは出来ませんでしょう。そのときでは遅いのです。一人で喜んでいるのではなく、その喜びを、今日という日に、友に告げ知らせてください。余裕は主が来られる時までしかありません。
 
2006.08.13(日)


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