『主を求めよ。お会いできる間に』
イザヤ書 55章6節〜13節

 聖書はあなたへの神のラブレターといわれる。「あなたは、どこにいるのか。」 との創世記 3:9の呼びかけから始まって全編にわたり、神のお招きが繰り返さ れるが、「それでも、あなたがたは、わたしのもとに帰って来なかった。」とアモス をして言わせ、「あなたはあなたの神に(今)会う備えをせよ。」と決断をせまる。

 神はこのように昔から預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろ な方法で語られましたが、この終わりのときに至って、御子を下され、御子により 直接、あなたにお招きのおことばをくださっておられるのです。ヘブル 1章。

 しかし、せっかくのお招きを、「畑を買ったので見に行かねば・・」、「牛を買った ので・・」―ルカ 14章、また、「おりをみて、また聞こう。」−使徒 24章といって 耳を傾けぬ者が多い。考えてみてください。私たちにとり昨日はすでに去って、 明日には手が届かないのです。私たちが決断し、行動できる時は、今というとき をおいてないことを知らなければならない。詩篇 95篇、ヘブル 4章。

「その通りだ。私が今、神を求めているのだ。」とあなたは言いますか。しかし、 イザヤの言う「求めよ」とは、神のお約束をいただけて、御許に行くということです し、「お会いできる間に」とは、主、ご自身に見出されるときという意味であって、 救いのイニシアティヴは、あなたにではなく、神にあることを認めてください。

主に近づける条件は、「おのれの道を捨て」、主の元に帰ること。でも、ある人 は神はいないといい、自分を中心とし、聖書の警告を無視し、何事も昔から変わ ってはいない。これからも自分たちでやっていけると主張し、自らに滅びを招いて いる。悔い改めて、今、主のお招きに応えてください。ペテロ U 3章。

主は万物創造の主です。そのお方の主権を受け入れるとき、あなたは灰色の 砂漠から、緑したたる沃野へと変えられた自分を発見し、歓喜の声を上げます。
 
2006.07.16(日)


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