『テモテ』 〜聖書のなかの人物シリーズ〜
テモテへの手紙 II 1章 3〜8節

声のメッセージ

教師はとかく自慢するものです。あの弟子は、どこどこで私が見つけてきた。私が育てたといった具合に指を折って数え、いつまでも師匠であり続けようとします。そのような私たちを戒めるお手本があります。 

脱落した若いマルコ・ヨハネとの厳しくも、悲しい別離の後、神はパウロに新たな弟子をルステラに備えていてくださいました。テモテです(使徒 16:1)。

 後にパウロはテモテに、「神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるものではなく、ご自身の計画と恵みによるものです。」と書き送っていますように、パウロはテモテの母や祖母を通して、神がテモテを育ててくださったことを認め、信仰によるわが子といいながらも、テモテを同労の伝道者と呼び、上から見下すような態度をとったり、いつまでも子ども扱いするようなことは決してありませんでした。

 次に教師はよい生徒によって励まされ、成長もさせられるのです。テモテとの出会いは、パウロをして更なる伝道活動へと献身させました。それ以後、精力的に世界中を駆け巡りましたことは、ご存知の通りです。輝かしい業績をあげた教師のもとには、必ずよい弟子がいることに気づいてください。

そればかりではありません。パウロは自分とテモテとの恵まれた関係を心かから神に感謝していましたので、主のみことばの広がりのために、そのような関係がほかでももっと増えるように、それも次から次へと何代にもわたり広げられるようにテモテに手紙を書き、勧めています(Uテモテ 2:2)。

主にあっては、教師と弟子も究極的には、共に主の弟子であることを、今の私たちも肝に銘ずべきです。

 
2005.11.27(日)


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