『日々、新たに』
IIコリント 4章16〜17節

声のメッセージ

 

   先週は、赦しと受容、すなわち父なる神が御子イエスの十字架において私たちの罪を贖われ、そればかりか、再び私たちが、み神を「私の父よ。」と呼ぶことをお許しなられる身分さえもくださったことを学びました。

これは赤ちゃんの誕生にたとえられるでしょう。いつも礼拝堂のお花をくださっています、一好さん・洋子さんに今月、三番目のお孫さんがお生まれになり、善太くんと名づけられました。

ご両親はいうまでもなく、おじいさん、おばあさん、みんなに愛されて、すくすくと育っています。そこで問題を出します。親たちは、「この子はおっぱいばかり飲んでいて一つも仕事をしない。」と怒りますか? もちろん、そんなことはありえないことです。それでは、いつまでも小さなかわいい赤ちゃんのままでいて欲しいと願いますか? とんでもないです。たとえば、親は育児書を読んで、この子は標準よりも早いとか、遅いとか言って一喜一憂するように、愛するわが子がすくすくと成長することを願い続けるのです。 

それと同じように、いえ、それ以上に神もイエス・キリストによって新生したあなたがその後も成長することをお望みになっておられます。どのようにしてでしょうか。あなた自身で努力せよ、頑張れといっておられるのでしょうか。

イエス様がこの世にいらっしゃる約750年前に活躍したイザヤという預言者はイザヤ書 64章8節以降にこのように言っています。「主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」と。

あなたの神があなたを日々、新たにされます。すなわち、あなたがあらゆる面で成長し続けるように働いてくださいます。あなたのすることは、この神を信頼して、このお方にすべてお委ね続けることです。

 
2005.05.15(日)


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