『いつくしむ心』 声のメッセージ
新約聖書 ヤコブ書 1章27節

 このところ、ヤコブ書から、聞くには早く、語るには遅く、怒るにも遅く、そして、みことばを実行する人になりなさいとのお勧めを聴いてきました。ヤコブは1章を、むなしい信心のありさまを指摘し、きよく汚れのない信心とは、「いつくしむ心」を持つことであると締めくくります。
 P・ティーリッヒは、「人を愛するという営みは、困難に陥っている人を『引き上げるわざ』としてあるのではなく、『その中に降りていくわざ』として現されなければならないと、ピリピ 2章に示されるイエス様を見てわかりやすく説明します。
 昨秋、NHKテレビで宮沢賢治の有名な詩、「雨ニモマケズ」は、同じ村にいたあるキリスト教伝道者の生涯を見ていて、そういうものに私はなりたいと自分に訴えた詩であると放映していましたのを聞き、そうだったのかと感動し、嬉しくなりました。 小学校6年のときの担任、新井 博先生はこの詩にご自分で曲をつけ、私たちはクラスでなにかというと大声で歌ったものです。幼心にも多くのものを訴えるものがありました。今も覚えており、歌えます。
 その人、斉藤宗次郎はデクノボウといわれながら、雨の日も、風の日も、雪の日の寒さ、夏の暑さもいとわず、『東に病気の子どもがいれば、行って看病してやり、西に疲れた母がいれば行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人がいれば、行って怖がらなくともいいといい、北に喧嘩があればつまらないからやめろ。」といった「その中に降りていく」生涯を貫いた人です。
 その彼はどのような人であったのでしょうか。お寺の三男として生を受けましたが、内村鑑三の影響で聖書を読み始め、イエスを救い主と信じ、バプテスマされました。その故にせっかくなれた村の小学校の教員を辞めさせられ、いじめにより娘を失うなど、言語に絶する迫害を受け続けましたが、イエス様に従い、村人を「いつくしむ心」を貫き通しました。後に彼は内村鑑三に東京に呼ばれますが、村を去るとき、人々は初めて去り行く彼の神の愛のいかに大きかったかを知らされ、心からいとおしんだということです。 その愛はイエス様がまず、私たちに見せてくださったものです。そして私たちも実にそのような人にイエス様により作り変えられた者です。もう一遍、その自分を見つけ出しましょう。そして、人々の弱さの中にイエス様とともに降りてゆき、今週を歩むことができますように、お祈りいたします。

2005.01.23(日)


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