『人の怒り』 
新約聖書 ヤコブ書 1章19節〜21節

 ヤコブはこの手紙で、私たちが如何に日常を生きるかを具体的に諭してくださっています。この前は聞くには早く、語るには遅くと教えられましたが、それに続いて怒るにもおそいようにしなさいとのお勧めに今日は耳を傾けましょう。

 どうして私たちはすぐ怒るのでしょうか。やはり、自己中心が頭をだすのではと反省させられます。箴言 14:16には、「おろか者は怒りやすく、自信が強い」とあって、私のことを言っているのかと身もすくむ思いです。また、同 16:32には、「怒りを遅くする者は勇士に勝り、自分の心を治める者は町を攻め取るものにまさる」とありますのを心に深く留めたいと思います。

 私たちは相手の話をろくに聞かないうちに話し始め、相手がどうしてそのようにいうのか、どうしてそのような行動をしたのかを考えもせずに、思い込みや、早合点で怒ったり、自分を正義の使者か裁判官であるとして、いらぬ争いを起こしてしまうのです。

 主なる神は「憐れみ深く、情け深い、怒るのにおそく、恵み豊かなお方でいらっしゃる」−詩篇 103:8−がゆえに、私たちは赦され、救いに与らせていただけました。今、心静かに、神がいかに怒るに遅いお方であり、私たちが悔い改め、罪から離れることを、一日伸ばしにして、どんなにお待ちになっていらっしゃることか思い巡らせてみましょう。−ペテロ U 3:9−。

 コリント T 13章は愛の章といわれますが、そこでは愛とは何かを例示しておりまして、「怒らない」こともそのひとつとしてあげられています。
 父なる神はイエス様をくださるほどに私たちを愛してくださいました。そうならば、私たちもまた互いに愛しあうべきですとのヨハネの手紙 T 4:11のおことばに聴き従いましょう。
 こんな私が神から愛されている、大切にされていることを知るとき、はじめて、怒りっぽい者も、すぐに怒る事がなくなり、「平和をつくる者」と変えられ、平安の日々を送ることが出来るようになります−マタイ 5:9− そうなると嬉しいですね。そう、なりたいですね。
2005.01.09(日)


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