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『試練に打ち勝つ喜び』 新約聖書 ヤコブの手紙 1章1-4節
今週から、新約聖書 ヤコブの手紙を開いて、ご一緒にみことばにお聴きしてまいりましょう。ヤコブの手紙は、「日常生活の福音書」といわれます。1〜5章にわたり、数々の具体的な教えが私たちの目を覚ましてくれます。 第一回は、「試練」です。これは自分の欲におびきよせられた結果、自ら招く試練もあり、また、思いもかけず出会う自然災害などの外部からの試練など、さまざまな試練が私たちの人生を絶えず襲います。 ヤコブは、「私の兄弟姉妹たち、さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」と語り始めます。どうして、試練が喜びと変わるのでしょうか。ヤコブのことばに耳を傾けてみましょう。 試練。それがどのようなものであれ、もし、自分の力で立ち向かおうとすれば、先ず負けてしまうことを私たちは経験的に知っていましょう。そして、多くの場合、その最後は絶望ではなかったですか。 試練と戦った後に自分の無力を知り、「主よ。お助けください。」と繰り返し、繰り返し祈り続けるとき、いろいろなことが見えてきます。とりわけ、神が自分を如何に愛してくださっておられるか、私をこんなにも大切にしてくださっておられることに気付かされます。試練とは神と自分との関係の強さを再確認させる機会であるといえましょう。これは本当に有難いことです。 ヤコブは続けます。「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて神に良しと認められた人は、神を愛する人に約束された、いのちの冠を受ける。」と。 人としての例を挙げれば枚挙のいとまもありません。旧約聖書に出てくるアブラハムがそうでした。神の命により、やっと生まれた一人息子イサクを捧げるときの息詰る情景を思い起こしてください(創世記 22章1〜18節)。 アブラハムが最後に喜びを得たのは、幼子のごとき、神にゆだねきった信仰でありました。へブル人への手紙 11章は信仰の章といわれますが、私たちは、そこに列挙されているアブラハムをはじめとする信仰の勝利者が神の恵みの証人として、私たちを雲のように取り囲んでいることを見せられます。確かに「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われる。」のですが、「後にこれによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせる。」とのお約束は確かです。 試練は神とのつながりを思い起こさせ、それが耐える力へと導きます。 そして、その忍耐があなたを成長させ、苦しみはやがて喜びへと真実の神により変えられていくのです。ですから、ヤコブは、「私の兄弟姉妹たち、さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」と励ますのです。このおことばは真実で、今もあなたに語られています。 2004.12.05(日)
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