『すべてを益とされる神』 
新約聖書 使徒の働き 23章1-11節

 パウロは、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてを働かせて益としてくださることを、私たちは体験的に知っています。」と確信を持って述べます。  これは何を言っているのでしょうか。私たちの精神社会には、「冬来たりなば、春遠からじ」とか、「禍福はあざなえる縄の如し」などという諦めと裏腹の楽観主義がありますが、パウロの言う、「すべてを働かせて益とする」とは、そのようなこととは根本的に異なるものです。

 パウロは長い間、ローマでの伝道を熱望していました。ローマ 1:10。そして、使徒の働き 28:30を見ますと、「パウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちみなを迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」とあります。その間には、私たちの想像も出来ぬ神の御取り計らいがありました。

 執拗にパウロの働きを邪魔していたユダヤ人たちのたくらみが、パウロに数々の弁明の機会を与えましたが、同時にそれは伝道集会ともなりました。そしてパウロはローマ皇帝のもとで裁判を受けることになり、そのようなことでローマ行きは実現されました。カイザリヤを出た船は、ローマの百人隊長の判断の誤りでクレテ島に近づいてから大暴風に遭い、幾日も暗い中を風に流されます。しかし、この難船を通し護送に当たるローマの百人隊長 ユリアスと兵士たち、そして船乗りたちに真の神を知らしめ、その後のローマでの処遇に好影響を及ぼしたと思いますし、また、幸いに漂着したマルタ島での最初の福音伝道をも導きました。

 人間の目には「ノー」と見えることを、神は「イエス」と変えられます。その理由は御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためであります。すべての者が救われるように、それが神の御心です。
 神はその目的を達成なさるために、神のしもべらをお用いになられますが、彼らを取り巻くさまざまな困難をも目的達成のために活かされます。残念ながら、私たちにはそれがすぐには見ぬけません。しかしながら、神のためにひたすら心を注ぎだすとき、神はさまざまな助けの手を差し伸べてくださいます。パウロはその体験を通して、「神はすべてのことを働かせて、益としてくださる。」ことを覚えていったのです。

 神がパウロになさったことは、驚くばかりです。しかし、それば遠い昔の出来事ではなく、今もあなたがもうだめだと諦めかけるとき、なお、全能の神はあなたに機会をくださっていることを覚えてください。神はあなたを捨てて孤児とはなさいません。大いなる知恵と力を惜しげもなくくださるお方です。目を開けて神のなさることをご覧になってください。神は御国をひろげられるために仕えるあなたのために試練とともに、そこから脱出する道さえも備えてくださっているのです。それを知ることはなんという慰め、なんという励ましでありましょうか。

2004.11.28(日)


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