『愛されている子どもらしく』 
新約聖書 エペソ人への手紙 5章1-20節

 私たちは讃美歌を子守唄としてよく歌います。実際、讃美歌は日曜日の礼拝のときだけのものではありません。日々の生活に溶け込んでいます。教会の方々は家事をしながらも自然と讃美が口をついて出ています。自動車を運転しながら、ウオーキングをしながらも歌っています。山や森、野原を歩いていますと、いつの間にか、「輝く日を仰ぐとき」とレーナ・マリヤさんが長野オリンピックのとき歌った有名なスエーデンの讃美歌を歌っています。私の親友はかつて大病と戦っていたとき、くじけそうになる心を、「死に勝ち、よみがえり、今日も変わらず生きたまう主イエスとともに、明日を我また生き抜かん。」と神に向かって歌いつつ、今の喜びをいただきました。

 今週の聖書は悪の時代に住む私たちがどのように光の子として日々を歩むかというお勧めのところです。「神に愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。」とパウロは語り始めます。あなたは真の神に愛されています。本当に愛されています。その証拠がイエス様の十字架でした。
 私たちは以前、真の神から遠くはなれ、望みもなく、暗闇のうちにうめいていましたが、キリスト・イエスは私たちを愛されるがゆえに、私たちのためにご自身を私たちの身代わりとして、十字架にお捧げになられました。私たちの代わりに罰を負われたのです。しかし、イエスさまは十字架の死に勝ち、よみがえりました。それは私たちを暗闇の中から引き上げ、私たちが新しい命に生まれ変わる初穂でありました。
 あなたは、主にあって光をいただいている者となったのですから、光の子どもらしく歩みなさいと聖書は勧めます。でも、私たちは現実に悪の時代に生きていますので、どうかすると、それに巻きまれそうになります。パウロは勧めます。せっかくあなたが主の十字架上の贖いにより光の子となれたのですから、それを無にするような愚か者にならないで、主のみ心は何であるかを、よく悟りつつ歩みなさいと。
 その最高の姿の一つが「詩と讃美と霊の歌とをもって、互いに語り合い、主に向かって、心から歌い、讃美し、いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝する。」生活です。
 讃美歌は聖書からことばをいただいているものですので幼な子を育てます。少年少女、青年の希望の歌、壮年、熟年の人々に知恵と力を与える歌です。老年の人々には喜びの歌、天に召されるときの歓送の歌です。
 あなたも私たちと一緒に讃美歌を歌いませんか。毎月、第三日曜日は讃美歌を練習する日となっています。ぜひ、はるなキリストの教会においでください。神に向かい、心を合わせて讃美歌を歌う、これほど至福のときはありません。教会員一同、お待ちしています。

2004.10.31(日)


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