『神を拝する人、カミになる人』 
新約聖書 使徒の働き 14章8-18節

 ルステラの町には、昔、ギリシャ神話の神々、ゼウスとヘルメスの二神が降りてきて、知らずに親切にした人に報いをくださったという伝説が残っていました。そこにパウロとバルナバがやって来て、生まれつき足の悪かった男を癒したものですから、町の人々は再び、神々が人間の姿をとって、彼らのところに再び下ってきたのだ、口々に叫び始めました。しまいには町の門の前にあるゼウス神殿の祭司までやって来て、バルナバとパウロを異教のやりかたで拝み始めようとしました。それを知ったパウロたちは愕然とし、着ていた衣を裂いて、主なる神を汚すことへの恐怖をあらわにし、群集のなかにとびこんで叫びました。「私たちは神ではない。あなたがたと同じ人間です。あなたがたがこのような虚しいことを捨てて、真の神に立ち返るように宣べ伝えている者です。」と。そして、やっとのことで群衆がバルナバとパウロを拝むことをやめさせたと今週の聖書の箇所に記録されています。

 一方、同じく、使徒の働き 12章20〜23節に出てくるヘロデ・アグリッパ王は食糧を援助してやっていたツロとシドンの人々に嫌悪をいだくようになっていたので、その人々は使節団をヘロデに送り、会見の席上でへつらって、「私たちにお恵みを垂れたまえ。あなた様はもう人間以上のお方でございますから。」と叫び続けますと、ヘロデは鼻をうごめかして、彼らの神に対する不敬な態度を戒めるどころか、得意になって神に帰すべき栄光を奪い、代わって自分を神にしようとさえした。するとたちまち主の使いが彼を打ったので、ヘロデは虫にかまれて息が絶えたと他の歴史書にも書いてある。

 功なり名とげた男がいだく人生最後の野望は新しく宗教を興し、その教祖となることか、既成の宗教団体の長になることであるといわれます。
 ここに神をも畏れぬ人間の罪を見せられます。その宗教の長である自分をあたかも神であるかのように教え、過度の崇拝をするよう信者を破壊的にマインド・コントロールするのは、ある種の快感があるでしょうか。そのような組織に共通することですが、そのようなカリスマ性を持った人間を教祖にまつりあげると、その宗教団体は巨大になりうる現象が見られます。信者もまた、それを歓迎し、嬉々として、人や建物を誇るために大勢の人々を熱心に誘ってくるようになります。つまるところ、彼らは人間をあがめ、気づかずに規模の利益を追う者となってはいますが、そこに真の救いはありません。

 パウロはルステラの町で言いました。「私たちは皆さんと同じ人間です。あなたがたは人を拝むような虚しいことを捨てて、天と地とその中にあるすべてのものをお造りになられた生ける神に立ち返るように、そのよいニュースを私たちは宣べ伝えている者です。」と、また、「過ぎ去った時代には、真の神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことをゆるしておられました。とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、心を満たしてくださったのです。」と勧めました。
 真の神はこの世界とその中にあるすべてのものを創造された天地の主ですから、手でこしらえた宮などに、お住まいになりません。また、なにか不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要もありません。お供え物をしなければ、祟る神でもありません。むしろ、ご自身を犠牲になさるほどに私たちを愛してくださるお方です。私はこのような神を拝したいのです。あなたはいかがでしょうか?

2004.09.05(日)


>> 最新のメッセージ
© はるなキリストの教会