『祈りの力』 
新約聖書 使徒の働き 12章1-17節

 旧約聖書、新約聖書は人を殺せとは決して教えていません。むしろ、人のために自分のいのちを捧げなさい、これこそ愛(アガペ)ですと教えるのですが、人間の罪が昔も今も、神の名を騙って、自分の我利我欲を押し通そうと争いを起こし、人を殺します。

 2000年前、キリストの教会が創始されると、すぐに既成宗教団体、次は政治による迫害が始まりました。先にはステパノが石で、次に使徒ヤコブが剣で殺され、今度は使徒ペテロが捕らえられました。
 ステパノの最後を覚えていますか。彼は「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と祈り、眠りについていったのです。エルサレムの教会の人たちは、第三の殉教者を覚悟し、ペテロが、この苦難にあたり、最後まで、主の弟子として立ち続けられるように、熱心に祈りをささげていました。しかし、今度は神はみ使いを通し、ペテロを助け出されましたので、エルサレムの教会の人々は初め、その救出を信じることができないほどでした。

 イエスさまは、「信じて、疑うことなく、祈り求めるものなら、何でも与えられます」とお約束くださっておられます。確かに、私たちは信じて祈りますが、私たちの信仰は小さく、ときには惑いを抱きながらの祈りさえあります。 しかし、その祈りがイエス・キリストの御名を通し、聖霊の神の助けをいただくとき、そのような小さな祈りさえ、何ものよりも力強く働くものとなります。今日の聖書の箇所はまさに、そのすばらしい一例です。
 神は今もなお、私たちを押さえつける鎖を断ち切り、私たちの前にある暗闇の扉を開いてくださって、光の中へと私たちを助け出されます。
 詩篇の作者は、詩篇 119篇71節で、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」と神に感謝の歌を捧げました。後にパウロが、ローマの教会に書き送った手紙の中で、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」と勧めていますことも、有難いことです。 私たちの心の目は近眼なので、目前のことしか見えず、右往左往するのですが、私たちが不真実でも、真実の神は変わりません。これを知るとき、私たちは神の限りない知恵の中に今週も安らうことが出来るのです。

2004.08.22(日)


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