『幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。』 
旧約聖書 詩篇 32篇

 「幸いなことよ。神への不義を赦され、神に対する罪をおおわれ、主なる神が、その咎をお認めにならない人は。」とダビデは感謝の祈りを捧げます。ダビデはどうして赦され、幸いなものとなりましたか。それは、「自分の罪を神に知らせ、自分の咎を神に隠さず、すべて主に告白した。」からでした。
 一方、自分の犯した罪を自分で解決しようと一人苦しむ人はどうでしょうか。彼は一日中、うめき、彼の骨々は疲れ果ててしまいます。神への恐怖がいつも重くのしかかっています。全身が夏のひでりのように乾き、その心には絶えず痛みが残る、暗い顔をして人生を送るのです。
 後に、老ヨハネは懇々と諭しました。「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」T ヨハネ 1:9。このことばは真実です。 私たちは不信の世界にいますので、その習性から、なかなかキリストの神を信じ得ません。しかし、ダビデは自分の信仰体験から宣言します。「しかし、主に信頼する者には、恵みがその人をとり囲む」と。もう、大水の濁流も私のところには届きません。確かにキリストの神は私の隠れ場です。神は私を苦しみから守り、救いの歓声で私を取り囲んでくださるのですと。

2004.08.15(日)


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