『よみがえられた主』 
新約聖書 コリントT 15章1〜20節

 パウロは、「もし、私たちがこの世にあって、キリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。」と断言しました。実にイエスさまの十字架と復活が個人を、いや、世界を180度転回させましたし、今もさせています。イエス様が捕らえられたときは逃げ出した弟子たち、カヤパの中庭ではイエス様を三度も知らないと否定した弟子、葬られた後は、息を潜めて隠れていたあの弱かった弟子たちが、どうしてその後、命をかけて、イエスを救い主キリストとして、世界中に宣べ伝えるように変えられたのでしょうか、それはすべて、復活のイエス様にお会いしたからでした。とりわけ、サウロ(後のパウロ)がダマスコ途上で、復活のイエス・キリストにお会いしたときの回心は劇的です。

 イエス様の復活から、キリストの教会が生まれました。イエス様の復活を覚えて、キリスト教会では、日曜日ごとに、感謝の礼拝が捧げられます。また、その感謝のゆえに、私がいただいた喜びを、隣の方々にお伝えしているのです。キリスト教会の2000年の歴史を通して、今に至るまで、世界中の人々はイエスがキリストであるとの福音を聞き、新しい命をいただき続けています。それによって世界も変えられてきました。
 手許にある市販されていた日本世界対照年表にも、日時はともかく、「西暦30年にキリストが復活した」と記載せざるを得ないほどに、イエス様の復活は歴史上、否定し得ない事実でありました。
 イエス・キリストの復活という事実を知るとき、人間が作ったすべての宗教といわれるものは色あせ、その存在価値を失ってしまいます。

 私たち人間は死を恐れます。しかし、私たちの行い、また、財産では、その死を1秒たりとも、遅らせることは出来ません。 しかし、感謝すべきことにイエスさまは、私たちの罪の結果である死を十字架の上で打ち滅ぼしてくださいました。イエス様を信じるとは、その十字架上で私の死も滅ぼされたことを信じることです。イエス様を信じるとは、それだけではなく、イエス様の復活を通して、私たちも全く新しい生命を与えられることを受け入れることです。ここにバプテスマの意味があります。あなたもイエス・キリストを信じ、今、全く新しい人生をスタートを切りませんか。

2004.04.11(日)


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