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『最後の晩餐』 新約聖書 マタイの福音書 22章7〜20節
最後の晩餐と題するレエナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵は有名ですね。また、私の尊敬していましたビックスラー先生が渡米される前の晩の夕食会が、まさに最後の晩餐になってしまった36年前の辛い思い出もあります。 しかし、イエス様が、「過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事をすることはありません。」とおっしゃられましたのは、そのような意味での最後の晩餐では全くありませんでした。 イエス様の十字架と復活、それに続くキリストの教会の誕生までは、人々が神のもとへ、再び戻るには律法という大きな壁がありました。私たちはそれをどうしても守れなかったのです。とき至って、父なる神は独子イエスを送られ、このお方を代わりの罪の贖いとされ、いのちへの門が開かれました。 イエスさまが、弟子たちととられた過越の食事には、いけにへとなった傷のない雄の子羊がありませんでした。それは、イエス様ご自身を、いけにへの神の子羊として(ヨハネ1:29)、捧げられたからでした。神様の救いのご計画において古い契約から、まったく新しい契約への一大転換があったのです。厳しい律法から、大きな、大きな恵みへの転換です。この新生の喜びをキリストの教会は、どうにかして世界中に告げ知らせたいのです。 2004.03.14(日)
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