『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』
新約聖書 マタイの福音書 21章12〜13節

 イエス様は、「ああ、エルサレム、エルサレム。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子たちを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」と涙を流されました(23:37〜38)。
 当時、主なる神にお会いする至聖所のあるユダヤ教の神殿が、こともあろうに神の名を騙って、信者たちをあくどく搾取する場と化していました。
 これは昔の出来事だけではなく、今も気をつけなければならないことです。キリスト教会といいながら、自己顕示欲のままに華々しい大聖堂を作ったり、イエス・キリスト様がいなくなって、牧師様が神様になって、信者たちを自分に仕えさせようと陰に陽に強要している教会などがあると聞きます。また個人レベルでも他の信者の賞賛を得ようとして、教会で奉仕という競争をしてみたり、その牧師様の取り巻き連と反対派の争い、分裂・・・もあります。
 私たちは気をつけて、自分を誇るためではなく、だれかの教会ではなく、この榛名の地にイエス・キリスト様の心を心とし、イエス・キリスト様を主とする教会の建設を目指して働けますよう聖霊の神様にお祈りいたします。
2004.01.18(日)


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