『わたしの荷は軽い』
新約聖書 マタイの福音書 16章24〜25節

 「自分の十字架を負う」と聞くと、辛いなあ、今でさえ、せいいっぱいなのにこの上、どうすればと思ったことはありませんか。今までの人生を振り返るとき、誰かから重い荷を肩に載せられても、その人から指一本の助けももらえなかったという悪夢がよみがえってくるからかも知れません。  私たちが背負いきれぬ重荷を背負ってあえいでいたとき、イエス様と出会い、イエス様にその重荷を全部取り去っていただき、休ませていただいたのですが(ローマ人への手紙6:6参照)、時々そのことを忘れてしまい、また、古い自我か頭をもたげてきて、主にお委ねするのではなく、自分でまだ頑張ろうとする結果、自分で自分に苦しみを増していることがあります。  イエス様が、「あなたがたもわたしのくびきを負って」とおっしゃるとき、確かにあなたは何かを背負うのですが、それは、あなたが想像するような余分の重荷ではなく、むしろイエス様があなたの荷を一緒になって負ってくださることを意味しているのです。イエス様に顔をそむけるとき、それは重くなります。しかし、すべてをお委ねしてイエス様とともに歩むとき、それは、それは平安と喜びの人生を歩み続けることが約束されます。マタイ11:30で、イエス様が「わたしの荷は軽い」とおっしゃっていることを覚えましょう!
2003.12.07(日)


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