平成13年10月14日

出発

   東名高速をひたすら西へ向かっていた。京都・奈良へ向けてこの道を走るのはこれで何度目だろうか。かつて、会社員をやっていたころ、会社をさぼって夜中に車をとばして京都の国立博物館に行ったこともあったし、夏休みに奈良を巡ったこともあった。このごろは新幹線で行くことが多くなった。こうして車で京都に向かうのもずいぶん久しぶりだ。
 仏像のガイドブックを作るという話を知り合いの編集プロダクションから聞いたのが平成13年の夏。私が収入の柱としているのはソフトウェア開発だ。企業から仕事を貰い、期日までに仕上げて納品する。この仕事と本を作るための取材と原稿書きを並行してやることは不可能だった。ちょうど9月末に仕事が一段落する予定なので、10月から2,3ヵ月仕事を抜けさせて貰うことにした。この分野で何の実績もない人間が本を出す機会などあるものではない。そのまま仕事がなくなることも覚悟して申し出たのだが、ありがたいことに原稿書きが終わったらまた戻ってきてくれと言われた。かたじけない。
 9月の間にどの寺のどの仏像を取り上げるかリストアップした。それを元に編集者が寺に連絡を入れてくれていた。一般の拝観者として寺を訪れ、それを原稿にするという方針で行くことになった。それでも掲載の許可は必要だ。面白いことに大寺院になればなるほど、対応が官僚的になる。申請は文書で、ファックスではだめで郵送で送れなど寺によっていろいろで、連絡を入れてくれた編集者は結構大変だったようだ。
 10月に入ってからはひたすら資料を集めた。各寺ごとに見落としがないように、事前に調べておくのだ。半月ほどの間、毎日朝から晩まで資料に目を通していた。
 編集者のKさんを待ち合わせ場所の川崎駅で乗せ、昼に出発。秋の高い空が青く広がる気持ちの良い日だった。京都まであと10数キロというところで前方にきれいな夕焼けが広がり始めた。西方には浄土がある。昔の人はそう考えた。その浄土には阿弥陀如来がいる。善人は死後、西方浄土に行き、阿弥陀如来が救ってくれると信じた。昔の人の壮大な想像力の成果だ。あるいはそれだけ現世がつらいため、夕刻の一時にしか表さない夕焼けに救いを求めたということなのだろうか。あざやかな茜色が漆黒へと姿を変えたころに、京都東ICを降り、宿へ向かう。途中道を間違えたが、無事に到着した。宿は東山駅の前にある。編集者が事前に予約を入れてくれていた宿だ。今日からここに1週間滞在する。

京都の手前で見た夕焼け。Kさんが助手席から撮影。

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