| 十一面観音(11の顔で人々を教化する観音) |
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一面観音は、頭上に十一の小さな顔(化仏)を持つ観音です。正面三面が慈悲、向って右側三面が憤怒、左側三面が牙をむき、背後の一面が大笑しています。この大笑いしている面を特に暴悪大笑面といいます。暴悪と言うのは、その笑い顔が悪そうな顔をしているからです。そして、中心の頂上に仏果を現す阿弥陀如来面があります。これで合計十一の面を持ちますが、本体の面を合わせて十一としている像もあります。 阿弥陀如来面が頂上にあるのは観音菩薩は勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍でもあるためです。 『十一面経疏(きょうしょ)』にはそれぞれの化仏の役割をこう書いています。 正面三面の慈悲の化仏は、善良な衆生を見て大慈心を生じて楽を与え、右側三面の忿怒の化仏は、悪い衆生を見て大慈心を生じて苦を抜き、左側三面の化仏は清浄な行いをする者を見て、それを誉め称えます。背面の暴悪大笑面は、善悪雑穢(ぞうえ)の衆生を見て怪笑し、悪を攻め、道に向わせます。頂上の如来面は仏教を習い行ずるものに対して最終最上の仏道を説いています。 観音の本質は慈悲なのですが、悪者に対しては怒りの顔を見せ、まじめに修行する人には誉め称え、品性のいやらしい輩に対しては怪しく嘲笑し、そのいやらしさを自覚させて正しい道に向わせるという訳です。 十一面観音の起源はインドの十一荒神と呼ばれるバラモン教の山の神でひとたび怒ると、霹靂の矢を持って人畜を殺害し、草木を滅ぼすという恐ろしい神だったとされているようです。
基本的に観音は男でもなく女でもないのですが、十一面観音像の場合、明らかな女躰像として造られることがよくあります。たとえば、法華寺には光明皇后をモデルにしたという像があります。また、琵琶湖湖畔の向源寺と渡岸寺には地元の人に古くから姉妹と呼ばれていた美しい像があります。十一面観音は民衆の間で古くから広く信仰されていました。琵琶湖の湖畔にはこうした十一面観音が多くあり、どれも地元の人たちによって大切にされてきました。 奈良東大寺で毎年春先に行われる修二会(しゅにえ)は、この十一面観音の前で犯した様々な罪を懺悔する十一面悔過(けか)の法会です。
奈良の長谷寺には杖を持つ他には見られないタイプの十一面観音が祀られています。顔が十一あって、これを特に長谷寺式と呼びます。十一の顔を持って相手に合わせるだけでなく、杖を持ってどこにでも来てくれるというわけです。
十一面観音はもともとはバラモン教の山の神だったためか、山奥に祀られることが多いようです。長谷寺も山を登っていった上に祀られています。特にこの長谷寺の十一面観音は岩盤の上に直接置かれています。山奥に祀られた十一面観音は岩の上に載せられていることがあります。多くは修験者が山上で十一面観音を拝んでいたようで、恐らくは日本古来からある盤座(いわくら)信仰と修験道に見られる修験道が山岳信仰を通して結び付いたためではないかと考えられます。 |
必見の十一面観音
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奈良・聖林寺(しょうりんじ)
聖林寺は奈良県桜井市にある小さなお寺です。安産祈願のお寺としても知られ、お堂に入ると顔の大きな地蔵菩薩に驚かされます。本堂を通りすぎ、奥に行くと十一面観音が安置されたお堂があります。この十一面観音は元は三輪山の麓の大神(おおみわ)神社の神宮寺であった大三輪寺の本尊だったとされています。明治初年の廃仏毀釈により大三輪寺が廃寺となり、聖林寺に移されてきました。和辻哲朗が「古寺巡礼」で絶賛し、また白州正子も「十一面観音巡礼」でその美を称えています。 |