2000系事故車の記録

あまり良い記録とは言えませんが昭和61年3月23日田無駅にて「追突事故」がありました。

留置されたモハ2217とモハ2218

検査表記が61-2となっている

〜事故当日の自分の行動〜
(長いので飛ばして頂いても結構です・・)


この日、自分は池袋に外出しており、帰宅時に影響を受けました。
その日の東京は記録的な大雪となり、日中に「こんなにも積もるのか・・」というぐらい積もりました。
池袋から高田馬場へ向かった時点で新宿線はストップしてましたが、その時点では「追突事故」の情報ははっきりと伝わっていませんでした。とても混乱していたようです。仕方なく新宿に向かい「中央線で帰ろう」としましたが、あえなく運転中止の報を聞き、とりあえず高田馬場へ戻ったところ駅員より事故があって運転再開の目途は立っていない、と聞かされました。そのうちに、山手線も止まり身動きが出来ないまま、駅でただ、ぼーっとしてました。改札でまっていると、ホームから目白学園の高校生達がビショビショになってちらほらと降りて来るのです。聞けば「中井から線路を歩いてきた」そうです。それを聞き、自分も「電車が動かないなら、とりあえず歩くか・・」とシミズ舞台工芸の脇の踏切から線路を歩きました。(ホントはイケナイ事ですがその時は必死でした)結果的に野方まで線路を歩きました。
その途中、川を渡る時が結構スリリングで「スタンド バイ ミー」を知っていたら口ずさんでいたでしょう。
 中井には運転中止になった上りの401+701が通電状態で佇んでいました。新井薬師、沼袋を越え、たまにすれ違う人達と言葉を交わし、歩き続けて2時間たって野方に着くと、そこで運転休止した「急行 本川越」行き(パンタも下げ完全に寝ていた)の乗務員が駅舎から乗務員室に向かうのが見え、声を掛けると「とりあえず、行けるとこまで運転しますよ」と教えてくれたその時、目の前のカーブ(都立家政を出てすぐの)から、ヘッドライトを煌々と点灯した2000系がやってくるではあーりませんか!当然警笛は鳴らしっぱなし。慌ててホームに這いずり上りました。足はつるは体は冷たいは、さんざんです。(この時、ホームって以外と高いな、と感じました) やっとホームで一服したキャビンマイルドのうまかったこと!しかし、そんなしあわせは長くは続かないのでした。
プラットホームでさえ20cmは超える積雪。足元は冷たく、「早くドアを開けんか!」とぶつぶつ呟いていると、目の前の車内になんと女子中学生が二人もいるではありませんか。早速、2000系のバランサー窓を外から開け(この時の2000系は有り難かった)「なにしてるの?」(決してナンパではありません)と聞くと「電車が動くの待ってるんです」という可愛いご返事。「もう動くらしいからドア開けて」と頼むけども当然開きません。「さっきは開いたんですよぉ」と心細げな声。そこで、悪い自分は非常コックを操作させようと思いつき「そのイスの下の赤い〇の中にレバーがあるから、それを回して」と女子中学生に指示。そしてやっと念願の車内に入ったのでした。(その時のステンレスドアの重い事ったらありゃしない)

パンタも上がり、MG、CPが起動し、とりあえず上石神井行きとして運転を再開する事になりました。しかし、超スロ―で駅の停車時間も10分も止まったりと見通しは立たない状態での運行でした。そして終点の上石神井に到着。「ここから先はどうなるのかな」(後続電車の見通しも立っていなかった)と思ったその時に構内放送で、新所沢行きとして延長運転する旨の案内!「これで家に帰れるぞ!」とほっと一息つけました。結局、後続の上石神井止まりを待って出発するため暫く接続待ちすることになりました。
 いざ、後続の電車が到着すると、ラッシュを超えた満員状態。ドアが開くとあっという間に超満員!とりあえず無事に田無に到着したのでした。そこで目に入ったのは無残な2000系でした。まだ、ホームにそのままの状態で留置されていて、見るも悲惨なものでした。北口に降り立ち、線路沿いを歩いて帰る途中に、恐らく小平からやって来たと思われる701系4連が、救援車として線路上に止まっていた事が印象的でした。その日は当然カメラを担いで出かける気力も無く、翌日記録に出かけました。たまたま事故車両を上石神井に移動させる時に遭遇したので、その記録をすることが出来ました。以下はその記録の紹介であります。

長々とお読み頂いた方、有難う御座いました。

事故車翌日の配置

クハ2018(未確認) モハ2218 モハ2217+モハ2118 牽引車クハ2414+クモハ2413+クハ2410+クモハ2409
←花小金井方

上石神井から牽引にやって来た2000系2連×2。もう、まもなく出発というところです。
上の写真よりやや後方にて捉えたもの。
モハ2両を連結したものです。
この、田無の構内配線も懐かしい物です。
左手後にはマスコミがかたまっていました。
牽引され田無を後にするモハ2217+2118
床下が全検明けなのできれいであった。
この2両は廃車となってしまった。

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