SCHOOL LIFE小学校編

マリリンが通ったカナダの小学校の場合

マリリンが通ったのは、Lansdowne Schoolというエドモントンの公立小学校でした。1学年あたり、20人ぐらいとこじんまりしています。広い1階建ての校舎で、遊具や芝生広場があります。
 プレ1年生ともいえるキンダガーテンが付属していて、ユイユイも9月には午後のクラスに入学しました。
 校長をはじめ先生方はほとんど女性で、ミス○〇、ミセス○○と呼びます。副担任に数人男性がいただけでした。
 その建物には、乳幼児や学童も預かる保育園(DAYCARE CENTER)もあったので、働いている人は助かります。保育料は、お母さんが学生だったりすると、補助が出るようです。
もちろん、小学校の授業料は無料です。教科書もありません。校舎内にジム(遊戯室)がありました。学校では室内ばきに、はきかえます。カナダ人は一般家庭でもたいてい土足ではなく、靴をぬいで生活します。(写真は学校の廊下)

学校の廊下

一年間を振り返って

4月
マリリン不安の学校生活

 初日は家族で登校し、様子を見た。マリリンは2年生のクラス、担任はどっしりとした、かんろくのある女性。副担任はシニアのやさしそうな男性。
 2日目、お父さんと元気に登校。学校ではまあまあだったよう。5年生に日本人の女の子がいたので、昼休みに一緒にいてくれたらしい。
 家から学校までは近かったが、なれるまで送り迎えをした。
とにかく、突然英語だけの世界へ飛び込むのだから、最初は毎日通ってほしいという思いだけだった。
 1週間後、案の定学校へ行きたくないとごねた。仕方なく、電話で欠席の連絡を入れた。翌日、祈るような気持ちでマリリンが起きるのを待ったら、いつもの機嫌で、内心ホッ。
 ハハである私は先生との会話が大変で、ボキャブラリー不足を痛感した。
意外に下の子を連れての迎えが大変。昼寝をしてしまうと、置いて行こうかどうしようか迷った。後日、中古のストーラー(バギー)が手に入り、おおいに役に立った。
 給食がないので、毎日お弁当を作った。日本のような気負いはなく、気軽におにぎりやサンドイッチ、そしてジュースを持たせた。みんな食後のおやつを持ってくるのだが、あられや「さきいか」を持っていくと、めずらしがられた。
 学校には近所のカナダ人の子供とアルバータ大学世帯用宿舎に住んでいる子供がほとんど、世帯宿舎には色々な国から学生が集まっており、極めて インターナショナルな学校だった。先生も英語が喋れない子供の扱いに慣れており、学校にも英語のまだ上手くない子供のためのクラスが不定期にあり、マリリンもはじめの半年ぐらいは時々授業中呼び出されて、他の数人の子供と一緒に英語の勉強をしていた。
5月 フィールドトリップ
 へやを引っ越して学校への道が近くなったので、送り迎えは道路まで。寝起きが悪いときはしぶるものの、元気に通った。ミッチェナーパークと言うエリアには留学生の子弟など子供がたくさんいて、クラスメートは、「ハーイ!!マリ」と声をかけてくれる。内気なマリリンが返事をしないと、ハハの私が代わりに「ハーイ」と返事をしてしまった。たくさん友達を作ってほしかったのだ。
 5月5日はフィールドトリップの日。郊外のSt. Albert Museumへバスに乗って行った。英語がわからないのにはぐれたらと思い、私もボランティアでついて行った。他に2人のMam。粘土でペン立てを創作する子供たちのフォローもした。時間が足りなくて、バスの中でお弁当をかき込んだ、という感じ。帰りに担任は「Thank you Mam!」とあっさりしたものだった。でも、タダでバスに乗ってエドモントンをぐるっ回れて、楽しかった。
 学校で、子供たちがウェスタンスタイルで歌うコンサートがあった。時々夜に、こうした催し物がある。ジム(講堂)で行われた。

*9月からユイユイが入る予定のキンダーガーテンの説明会があったので、マーシが出席。午後のクラスを希望した。午前はプレイスクールに行く予定。

6月 学年終了の月
 クラスメートのサァラのバースデーパーティに招待された。プレゼントはカナダの慣例にしたがって、20ドル程度のおもちゃを買った。彼女が好きだと言うバービー人形。
 会場のマクドナルドには、室内にアスレチックのような大きな楽しい遊具があった。さすが冬の寒いカナダならでは!当日はユイユイまで入れてもらった。アイスクリームケーキがおいしそうだった。
 学校では世界の国々の勉強をするため、それぞれの国をテーマとしてその国の物を飾ったり、説明したりする催しがあった。そのうち日本の番になり、Japaneseセレブレイションということで、日本や中国のものを教室に飾った。
我が家からは焼き物や箸、おわんなど、そして友人から借りた力士の手形の色紙を飾った。担任の先生は、「相撲レスラー」の色紙がえらく気に入ったようなので、友人に譲ってもらって、プレゼントした。、
 副担任のMr.Gが退職することになり、お別れ会がキャンプ場で開かれた。算数の先生で、英語の出来ないマリリンにとって体育を除き唯一出来る課目の先生だった。
皆でバーベキュー。私はまだなれない運転で、おだんごを作って差し入れた。子供たちにはきな粉味が人気。あんこは今ひとつだった(やっぱり!)
 学年最後の日には、いわゆる通信簿「Student progress report」をもらった。マリリンの国語(英語)はレベル「Grade1(1年生並)」だった。後日詳細をUP!


7月〜8月 まるまる夏休み!
 やはりマリリンは喜んだ。親としては、やっと慣れてきたのに、英語もすぐ忘れてしまうだろうと心配になった。
 そこで、ESLの講座に通わせることにした。近所のハイスクールが会場で、私が車で送り迎えをした。教師は若いアフリカンという感じの女性だった。8月にお弁当を持って約2週間通った。
 他にも算数や国語の補習講座が開かれていた。公共の講座だが、有料だった。1クラスの人数が多い日本にも生徒のためにこんな講座が必要かも。

9月 試練の新学期
 新学期、3年生になった。新しいクラス、といっても20人程度なのでクラスがえもなく、担任が新しくなっただけ。でもマリリン浮かない顔…。編入当時からよくしてくれた中国人のシーラが転校して、いなくなってしまっていたのだ。
 ある日学校に行きたくないと言い出した。いつもより強固な意志。「学校へ行って何の得があるの?」とまで言う。
 よく話を聞いてみると、自分の好きなものを皆に紹介して話をする「Show and tell」という日らしい。内気な上に、英語がうまく話せない者にとっては確かにつらいことだ。仕方なく学校に電話をして、様子をみた。午後からは何とか行く気になったので、連れて行って担任に事情を話した。40前後と見られる女の先生は親身になって、「私もカウンセラーもいるからできる限りフォローします。心配しないで」(というようなことを多分)きっぱり言ってくださり、思わず私も「Thank you!」と手を握ってしまった!
 ユイユイがキンダ-ガーテンに入園したので一緒に通えるのは少し心強かったかも。ユイユイはものおじせず担任に抱きつくタイプ。
  ユイユイもキンダガーテンに入園
 翌年の3/31までに満5才になる子は、キンダガーデンに入園できる。午前と午後のクラスに分かれている。教室には2台のパソコンがあって、いつでも知育ソフトを使って遊べる。陰で見ていると、ユイユイも英語がわからないなりに出席表を秘書の人に届けたりと、当番の仕事もこなしていた。


 10月 ハロウィーン
 体育ではテニスもあった。マリリンがボールを打ち返すと、アレーシアが「Good job! 」と抱きつく。母親も普段ボランティアで貢献していたが、彼女も親切な友達だった。
 学校でハロウィーンパーティーがあった。お菓子や楽しい催し物がいっぱい!
我が家の姉妹もマリリンは天使、ユイユイはフレンチメイドになった。校内をねり歩いて、最後にお楽しみのおやつタイム。
 周りの木々が色づいて通学路を歩くのも楽しい…と思ったのもつかの間、初雪が降った。
 ユイユイもフィールドトリップ
  
St. Albert Museumで天使のキャンドル立てを作ったユイユイ。
   フィリピ-ナの大きいな目をした男の子、ジャスティンと手をつないで…。

11月 大雪
  学校からのお知らせは毎月1回ニュースレターとして配られた。名前入りでボランティアに感謝の意を表し、翌月の予定やお知らせ事項を掲載したりする。キンダ-ガーテンのそれはカラフルな色画用紙に印刷されていた。
 また、クラス担任からもお知らせのほかに、毎週宿題も出された。英語、算数、理科などが一つに綴じてあって、提出日間際になると、親も一緒になって見てあげた。

本格的に大雪が降った11月。こんな大雪はエドモントンでも、めずらしい。歩いていくのが大変!
帰国する友人に譲ってもらった「そり」で、妹たちを乗せて送り迎えをすることにした。




 
12月 HAPPY HOLIDAYS
 
 生徒たちが皆で州の議事堂内にクリスマスツリーを飾りに行った。
 学校では10日に、クリスマスコンサートが開かれた。午後の部と夜の部の2回開催。
 マリリンもユイユイもこの日のために歌や振り付けの練習をしていた。靴やドレスもデパートで購入したのだ!
小さな講堂だがチケットが事前に配られ、家族や近所の皆で出かけた。
歌も飾りつけも素晴らしかった。 
 

キンダ-クラスの振り付けは特に可愛らしかった。(→)
14日は学校にサンタが来たらしい。クリスマスキャロルを皆で歌ったようだ。

19日からWinterBreak:冬休みになった。 


  日本人学校について
 エドモントンには毎週金曜日の夜開講される、日本人学校があった。
が、マリリンは行かないというので、海外子女教育財団の通信教育を受講していた。
日本人学校は近かったので、図書室のみ利用させてもらった。本やビデオを借りることが出来たので、家族皆で行くのが楽しみだった。

 

1月 スケート 
 寒いからと言って冬休みはそう長くはない。4日から学校が始まった。
 敷地内のテニスコートが、冬はスケート場になった。マリリンも体育で滑った。リサイクルショップで購入したスケート靴に新品のヘルメット。カナダではスキーやスケートをするとき、子供は皆安全のためヘルメットをかぶる。
 暖かいの昼休みは皆外に出てそりをしたり、雪で遊んだ。体感温度-20度以下の日は外には出してもらえず図書館等で過ごした。
 学校から帰ってからもHot Chocolate(ココア)持参でスケートをしに行った。幸い私たちが行った冬は観測史上5番目に暖かい冬だった。それでも気温は-30度近くまで下がった。
ユイユイも登校拒否!
 歩くのがいやで行きたくないということは多かったが、この日も登校拒否。聞いてみると、クラスメートが遊んでくれないという。あの、お気に入りの男の子と遊ぼうとすると、他の男の子が割り込んでくるという。プレイスクールとかけ持ちで疲れもあったのだろうか。何日かすぎて、また元気に通うようになった。
 2月 高熱で寝込んだ日
 妹たちに比べて数は少ないが、熱を出したこともあった。2月の始めも40度近い熱が出て、4日間学校を休んだ。熱によく効く薬タイラノールには本当にお世話になった。
(思わず日本にも持ち帰ってしまった
St,Valentines Day雪の校庭で
男女関係なく、学校では皆カードを交換する。クッキーもあれば手作りのカードもある。マリリンもハートのクッキーを焼いて友達にプレゼントをした。
少し暖かい日は昼休みに雪の校庭で、友達と動物ごっこをしたマリリン。
この頃には英語が自然に口から出てきたようだ。

 
 3月 カナダ最後の一ケ月
 上旬にCelebrations of Cultures Weekという日があった。
クラスメートのお母さんMrs.ハノハノから電話があり、オリガミをぜひ教えてくれないかとのことで、近所の日本人の友達と皆で指導?に出向いた。インターナショナルな料理が並び、楽しい時間を過ごした。なんと夜10時まで!News Letterにものって良い記念になった。
 
2学期は3月26日まで、でもマリリンは24日で日本に戻るため2日早く学校終了となった。マリリンもこの頃になると学校にもすっかり慣れ、もっとここに居たいと言っていた。

 最後に
  ここには書ききれないが、他にもいろんな行事があった。Bad hair Dayと言って皆がわざと変な髪形にして登校し、くし(コーム)をもらって帰ってきたときもあった。
 マリリンにとって、いつまでも「カナダの学校って楽しいところ」と映っているに違いない。
 登校拒否を起こしたこともあったが、日本の教科書どおり、時間どおりのカリキュラムに比べて、Lansdowne Schoolはとても自由だった。
 お別れに担任のMrs.Wは、「The DRAGONS of BLUELAND(エルマーとりゅう)」をプレゼントしてくれた。「You're an excellent student !」というサイン入りで…。

  KUMONについて
 エドモントンにも「公文式」があると知ったのは秋。日本人学校で知り合った人から聞いた。
マリリンは幼児期に体験しているが、行ってみたいと言い出した。少々遠く、マーシの運転でユイユイと2人通うことにしたのは11月。日本人の先生で、スタッフも現地育ちの娘さんたち。先生のご主人は偶然マーシの仕事関係の方だった。生徒は中国人、欧米人と様々だった。冬は通うのが大変だったが、クリスマスパーティーなどにも参加して良い体験になった。
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