SCHOOL LIFEユイユイとハハのスクールライフ

ユイユイが通ったカナダのスクールの場合

最初は家でテレビ三昧?
ユイユイが最終的に通ったのは、Lansdowne Schoolのキンダ-ガーテンと、アルバータ大学のファミリーレジデンスに開設してあるプレイスクールでした。幼児施設は、小学校に付属しているキンダーガーテン、プレイスクールや、保育園(DAYCARE CENTER)などがありました。、カナダ到着後最初に見学したのが、プレイスクールです。 キンダガーテンは9月から、(日本で言う年長さん)しか入れませんが、プレイスクールは日本の幼稚園に似ていて、3歳から入園できます。人なつっこいユイユイは問題ないかと思いましたが、しかし「英語ばっかりでいやだ〜」と拒否したのです。
 仕方なく、しばらくは家で遊ぶことにしました。TVも幼児向け番組をやっているし、アニメなどもありました。これでけっこう英語になじむことができたかもしれません。午後のお昼寝タイムは、ハハの私がクラフトやリビング関係の番組を楽しみました。今思えば、あのアメリカの主婦の間でカリスマ的存在だという『
マーサ・スチュワート』の番組も見ていたのですが、本当に素敵でした。
 小学校にあるDAYCARECENTERならヒカと一緒だしいいかなと思いましたが、こちらは順番待ちで、ウェイティリングリストに載せてもらっても一向にお呼びがかかりませんでした。
 そうして夏が過ぎて9月になって、ようやく、午前中月・水・金はプレイスクール、午後は毎日キンダ-ガーテンという日が始まりました。保育料はキンダーは公立で無料、playschoolは週3日で月77ドルでした。
 ちなみに私とヒカは、6月から通っていたロザリーの英会話教室に引き続き通いました。コーヒーつき、週二回で30ドルと日本で考えれば激安なのですが、移民向け無料の教室もあったので身軽な人はそちらに通ったようです。


小学校のキンダーガーテンの教室にはPCが2台置いてあって、子供は知育ソフトで自由に遊んでいた。
playschool思い出し日記

9月 プレイスクールはハハの出番多し!
 キンダ-ガーテンと違って、いろいろ親の仕事が多い。
英語はできなくても関係ない。早速やらされたのが、SAVE ONという大きなスーバーの前で、ハンバーガー・ホットドッグを売ること!(写真:後ろにあるのはコーラ、中国人ママと一緒に⇒)
説明会の時に次のような依頼があった。
1、毎日のおやつに栄養価の高いスナックを用意する(月1回ってくる)
2、授業のための教材を作るお手伝い(学期に1回ぐらい回ってくる)
3、ファンドライジング(運営資金を増やす)ためバザ-などの行事に協力する
4、月1回交替で教室の掃除(年1回ぐらい回ってくる)

10月 お友達はキンダーと共通
 家からほんの数歩の場所で、おやつもあるから、ユイユイは楽しく通ったようだ。
防犯のため、外からブザーを押して、中の人が応答しないと開けてもらえない。アパートやビルなどは大抵このシステムだった。
 ユイユイはキンダーと共通のお友達も多く、午後からは芝生の道を学校(キンダ-)へと向かった。リビアからの“フーセイン”や中国人の“エドワード”など。中国人のクリストファーのおばあちゃんいつも送り迎えで、全く英語を話さず「ハーイ」だけで通していた。それでもカナダには住めるのだ。
 話ははずれるが、中国人のママたちはいつも最低限の現金しか持ち歩かず、クレジットカードも使わない。近所のスーパーで2回も「お金を貸してくれ」と言われたことがあった。
 韓国人ママはなぜかスリムな人が多かった(^.^)

11月 大雪が降って通うのも大忙し
 大雪が降って、ほんの短い距離もそりで子供たちを運んだ。これがけっこう楽しかったようだ。スキーウエアーを着せるので、意外に面倒だったりするが。
 雪の道、フィールドリップで、FireStaition(消防署)へも行った。カナダは黄色に赤のラインの消防車で、救急車は日本と同じ白だった。

12月 クリスマスにはサンタが!
 
寒くなって、室内で過ごすことも多く、クリスマスに向けてみなおゆうぎの練習にも熱が入った。
ツリーの形に隊列を組んで、頭に星をきららさせる可愛いおゆうぎだった。

サンタさんも、
プレゼントをもってやってきた。

1月 ジャンクフードはダメ!
 ハハは当番でおやつを用意するのも悩みの種だった。栄養価のあるスナックとは、きゅうり、トマト、チーズ、クラッカー、ヨーグルト、リンゴなどのフルーツ、から2.3種類組み合わせる。
 教材の当番が回ってきたある風の強い日、色画用紙を人の形に切り取るため、型紙を預かったのだが、途中で落としてしまった。ユイユイと必死に探したが見つからず、ひたすら先生2人に謝った。「No problem」と言ってくれたが…。数日後、雪の中からだれかが拾って届けてくれた。
(私はこの『No problem』というひびきががわりと好きだった。とりあえず大丈夫かな?と思えるから)

2月 セント・バレンタインデー
 2月といえばValentine's Dayいろんな季節の行事にはそれにちなんだお菓子の作り方もNews letterに載せてくれる。また、教室には、それぞれの名前のポストが設けられ、ユイユイもお友達も手作りのプレゼントやカードをそこに入れてあげる。先生からのプレゼントも、もちろんあった。
 (写真の力作は帰国の際に処分)

3月 最後の月
 一面真っ白だった雪も解け始めた3月。最後の最後は大そうじでおわった。教室の隅から隅まで椅子も床もおもちゃもよく拭いてきれいにする。これが父兄の仕事なのだ。英語もよくわからないままに経験者から指示を受けながら掃除をした。先生には「帰国するので」と言って、自宅にあった大量のオリガミをプレゼントした。

 半年だけのplayschoolだったが、季節の行事もいろいろ取り入れてありカナダのみならず中国など世界の文化に広く触れることができた気がする。
 ユイユイはキンダーと両方で、通うのは大変だったと思うが、いろんな思い出を貯金できたと思う。英語を喋りだすまでにはならなかったが、○や△を、こちらがサークル、トライアングルと思って聞いてると全然聞きとれないほど、自然な発音をしていた。
(今ふたたび日本で英語に挑戦中!)
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