太陽の使者 鉄人28号 〜 SS 〜
      NAGASAKI

 


 

「あがんガキが……、金田、正太郎……?」
「……ばい。上着んワッペン、見たとやろ」
 高校くらいだろうか。ふたりの若者は、呆然といった様子で会話を交わし、大きな鉢植えの影にいっそう身を沈めた。
「わきん男、護衛かもしれんと」
「どがんしゅう?」
 赤いアロハの青年はこわばった表情だ。
 黄色いTシャツの青年はニヤリと笑って、アロハの肩をたたく。
「まあ、サツじゃなければよか。高志、ここで待っちゅう」
「ちょっ……ナオッ、直樹!」
 叫んだ口をあわててふさいで、アロハの青年が床の上にへたり込む。極端に人目を気にしているらしい青年たちは、その気遣いも空しくかなり目立ってはいたが、にぎやかに行き交う人であふれかえった空港のロビーでは誰も気にとめるものはいなかった。
 高志が鉢植えの影から恐る恐るのぞくと、直樹は、ゆっくり歩いていく小さな背中にもう追いつくところだった。
「ったく……ばかすけが」
 長い髪をたばねていたゴム紐をむしりとり、高志は息をついた。

 ロビーの上空は最上階までふきぬけになっていて、その中空に浮いている“ようこそNAGASAKIへ”という電光文字をすかして、天井いっぱいに広がっているステンドグラスから色とりどりの光が降り注いでいる。
 それを眺めながら、ゆったりと歩いていた少年の背後に、頭ふたつほど背の高い青年が近づいてきた。
「あの〜」
 声をかけられ、少年が足をとめる。ふり向くと、明るい笑みをたたえたハンサムな青年が立っていた。
「はい?」
「もしかして、金田、正太郎くん……、じゃないですか?」
 ざんばら髪の青年がゆっくりと喋る言葉は、どこか発音が異なってあたたかみがある。問いかけておきながら、相手が本人であることに確信を持っているような口調だった。
「はい。そうですが」
「はじめまして!」
 青年はおもむろに正太郎の手をとって、両手でがしっと握りしめた。
「オイ、いや僕、きみの大ファンなんです。頑張ってくださいね!!」
「ありがとう……、ございます」
 すこし不思議そうにまばたいた少年が、握られた手に視線を落とす。
「それでは!」
 青年はさっと手を離し、会釈して立ち去った。かたわらに立って見守っていた眼鏡の男が、のんびりとした笑顔で正太郎をのぞきこんでくる。
「きみもすっかり有名人だねえ」
「からかわないでください」
「まあ、鉄人の警護がずいぶん宣伝されてしまったから、仕方がない。……おや?」
 歩き出してすぐ立ち止まった背中に、正太郎があやうくぶつかりそうになる。
「はかせ?」
 人混みに目をこらして、男はすぐに首をふった。
「いや……」
 ちょうど視界に入った若い警官が、こちらに気づいて足早にやってきた。
「敷島博士ですね」
 姿勢を正し、警官が男に向かって敬礼する。
「わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます。……あの、……こちらが?」
 かたわらの少年に視線を移した警官は、紺のブレザーの胸元につけられているインターポールの腕章に気づくと、また少年を見て、面食らったように口ごもっている。
「金田正太郎です。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げた少年に、警官があわてて再敬礼する。
 その先導でふたたび歩きだすと、正太郎はすこし歩調を落として後ろについた。
 そっと、右手をひらいてみる。そこには小さく折りたたまれた紙片があった。
 振り向いてみても、もう青年はどこにも見あたらなかった。

「いやいや、ごくろうさま」
 迎賓室から出てきたふたりをにこやかに出迎えたのは、ICPO日本支部長・大塚茂である。
「けーぶ。いま来たんですか?」
 正太郎が、すこし口をとがらせて云う。大塚は人の悪そうな笑顔を浮かべた。
「やー、そうなんじゃよ。たったいま着いたとこでなあ。実にいいタイミングだったな」
「ほんとうに」
 敷島大次郎のうらめしそうな声に、あわてて大塚が両手をあげる。
「いや、長官との面談が組まれとるとは……、わしもついさっき聞きまして。いやはや本当に申し訳ない。正太郎くんは昨日ミュンヘン、今日は長崎という強行軍だというのに、まったく……」
「警部はいいんですか? 加藤さんにごあいさつしなくて」
「とんでもない」
 大塚茂が大仰に首をふる。
「わしは……その、しょっちゅう会っとるし。そら、ご多忙な運輸省長官に二度手間をとらすのも申し訳ない。正太郎くん、きみが話の要点を教えてくれんかね」
「ずるいなあ、警部」
 鉄人の責任者である敷島大次郎はもちろん、大塚茂もまた、政府の要人を大の苦手としていることは正太郎もよく知っている。苦笑しながら、正太郎はすこし考えるように首をかしげた。
「そうですね。世界初の海上空港をつくった長崎に、また世界初の民間宇宙空港がつくられた意義、……とか。鉄人がその警護にあたることがいかに名誉なことか、……とか。まあ、そういったお話でした」
「それだけかね」
「はい。だいたい」
「ゆうに二時間は、つかまっとったんだろう?」
「いえ、そんなには。一時間半くらいでしょうか」
 大次郎の嫌みに、大塚が弱々しく笑う。
「でも、黙って座ってるだけでしたから。ぼく、こっそり休めましたよ」
 助け船のつもりで云ったらしい正太郎の言葉に逃げ場をなくしたように、大塚茂はがっくりと頭を下げた。
「いや。ほんっとーに、すまん」
 ため息をついて、大次郎が少年を見る。
「しかし、これできみの夏休みは終わってしまうねえ」
 このところの事件続きで正太郎は休む間もない。疲れていないはずはないのだが、少年は笑ってただ肩をすくめてみせた。
「うわあ」
 ふきぬけに出たとたん、正太郎が声をあげる。重厚な木製の手すりに駆けよると、到着したとき通ったロビーがガラス越しに一望できた。その視界いっぱいに人々がひしめいている。一般客が上がれないこのブロックでは、ざわめきは遠くかすかに聴こえるだけだ。ただ大勢がいるというだけでなく、それぞれが目的を持って入り乱れ移動していく様は、不思議な感慨を起こさせる光景だった。
「ほとんどが式典めあての観光客だろうね」
 大次郎も横に立って一緒に見おろす。その長身の腕を引き、大塚が額を寄せた。
「しかし博士」
 廊下のあちら側に立っている警備員を見やって、大塚の声が一段低くなる。
「開港式の警護と云ったって、世界中が注目するなかで、わざわざ鉄人にかかってくるようなやからがいると思いますか」
「どうでしょうね」
「ウエは、要は各国に鉄人を見せつけたいだけなんですよ。いっそどこかよそで事件が起きてくれんか……、とつい不謹慎なことを考えてしまいますな」
「しかし、よほどの大事でなければ、要請はかからないでしょう」
 冗談とも本気ともつかない会話をきかなかったことにして、正太郎は見事な天井を間近で見上げた。大海原を行く帆船を描いた色とりどりのステンドグラスを通して、南国の強い日差しが輝いている。虹色の光が降りていくふきぬけをふたたび見おろすと、“ようこそ”の文字が逆さまになってみえ、その奥の大きなガラス窓のむこうに、川のような細い海ひとつをはさみ、あたらしく作られた宇宙空港が広がっていた。
 ふと、その窓の前に立つ鮮やかな黄色のTシャツに、正太郎が目を留めた。さきほど声を掛けてきた若者に違いない。隣の赤いアロハシャツの人物となにやら熱心に話し込んでいる。そのふたりの背後へと、人混みをかきわけまっすぐ近づいてゆく3人。あれは警官だ。
「あ」
 思わず正太郎がつぶやく。黄色と赤は、警官を見るやいなや、ものすごい速さで走りだした。ちょっとした騒ぎが起こったが、一団はすぐロビーから消えてしまった。
 大人たちがまだひそひそと話しているのを見やってから、正太郎はズボンのポケットをさぐった。手にした紙片をひろげてみる。手帳をちぎったような紙には、鉛筆で地図らしきものが走り書きされていた。図の下には“20、マツ”とある。
「正太郎くん」
 大塚の声に、正太郎があわてて紙片を握りつぶす。
「はい」
「そろそろ宇宙空港のほうへ移動するとしよう。なに、車で橋一本渡るだけだから、すぐじゃよ。やっと鉄人に会えるなあ」

「……金田、正太郎?」
 肩口で黒髪を切りそろえた少女が、信じられないという顔で、身をのりだした。
 少女と、直樹、高志の三人は、それぞれ古びた木箱に腰掛け顔をつきあわせている。
 灯りは、わきの机に置かれたランプひとつ。それで充分なくらい狭い小屋は、あちこち泥だらけだ。
 直樹がのんびり笑う。
「そう。あん正太郎くんね」
「……じゃ、そん子は、初対面ん人からいきなり今夜あいたい云うあやしい地図ばわたされたとね?」
「そいな変態じゃなかね。つれがおって詳しゅう話しよっと間がなかと。……ばってん、怪しかとやろか?」
「おもいっきり。わけもわからんと信用してくれるわけなか。たまたま見たけん? あんたら計画っちゅう言葉知っとると?」
「あんたらて、美香子、俺ばこいと一緒にすんな」
 高志が口をとがらせる。
「そん場にいた高志も同罪と」
「ひでえ。俺ば止めたやろーが。直樹、きさんがぜんぶ悪か」
「興味なけりゃ、うっちょくじゃろ」
「ばか。サツにばらされっば……」
「大丈夫。あん場でなんも云わんかったけえ。けっこう骨んありそうな奴じゃなかね」
 直樹の不審な行動に動じなかった少年を、高志も不思議に思ってはいたが、自信満々な直樹に素直に同意はできない。
「ふん。あがんガキ。きっとなんもわかっとらんとやろ」
「直樹。じゃあここにいて大丈夫とね」
 念をおす美香子に、直樹が笑ってうなずく。
「ひょっとしたら、来てくれる。そん気がしよっと」
「こんこん」
「ばってん、そがんこまんか子やの?」
「ああ、美香子ん弟ぐらいやろか。いくつやった?」
「十二」
「わいたち、常識を知らんなあ」
 高志がため息をつく。
「金田正太郎っつったら、小学生じゃろ」
「ネクタイばしとったぞ。あれ、中学の制服じゃなかかな」
「はい。中二です」
 澄んだ声に、全員があぜんとして窓を見る。
「こんばんは」
 ぺこりと頭をさげた少年に、直樹があわてて立ち上がった。
「しょ……、金田くん、来てくれたと!」
「ちょっと遅くなりました」
「なーん。遅刻んうえ立ち聞きたあ、しつけがなっとらんばい」
「高志!」
「すみません。あの、入口がわからなくて。もしかして、この窓から入るんでしょうか」
 礼儀正しい返答に、嫌味を云った高志も毒気を抜かれてしまう。直樹がおかしそうに笑った。
「ごめんごめん。扉のほうは土砂でうまっちゃってるんだ。僕らの秘密基地へようこそ」
 身軽に窓枠をのりこえた少年はジーンズにTシャツ姿で、空港で見かけたときよりさらに小さくみえた。
 これで中二なら、だいぶ小柄なほうだろう。
 すすめられるまま木箱に腰をおろした正太郎に、あらためて高志が驚く。目の前に座った、おとなしそうな少年。これがかの有名な金田少年と誰が思うだろうか。鉄人28号の活躍は頻繁に耳にするが、その操縦者である正太郎の姿を見ることはまずない。どこかふつうの子どもとは違う豪傑な英雄像を想像していたから、それと目の前の少年はあまりにもかけ離れている。
 しげしげと眺める高志の視線に気づいて、正太郎がはにかむように笑う。
「あの……、とにかく話をききたいと思って来ました。ぼく、宇宙空港のことは新聞に書かれている程度しか知らないんです」
「なして!……そん話だと?」
「え。鉄人の警護は公表されてますし、ぼくに話があるならそのことだろう、って。それに、空港で、警察の人に追われてましたよね」
「あ、見られちゃったか」
「ちょっと直樹」
 美香子があわてて割り込む。
「正……ええと、金田くん?」
「正太郎でいいです」
「じゃあ正太郎くん。こん怪しかもんば信用して来てくれて、ありがとう」
「おい、あやしかって……」
「やかましか。正太郎くん、あたしたちはそりゃ、地元ん警察ば目えつけらるっけん。こんあたりじゃ“反対”っちゅうただけで捕まるくらい異常んなっとっと。別に宇宙空港を壊そうとか、そういうんじゃなかよ」
 美香子を制して、直樹が身をのりだした。
「空港のために、ひとつの町と山が消えた話は知ってる?」
「はい。それは」
「僕らはみんな、なくなった南美町に住んでいた高校の仲間なんだ。町はもうなくなってしまった。それは今更どうしようもないけど。……ただ、住民の半分は反対したのに公益上必要だとかなんとかで強制収用が適用されて、めちゃくちゃな立ち退きをさせられたこととか、云いたいことがたくさんあるんだ。けっきょく大人はみんな金をつかまされて黙ってしまったけど、このことをちゃんと世間に知ってもらいたい。そうでなきゃ、きっとどこかでまた同じようなことが起きるって、そう思うから」
「宇宙空港なんち俺らに用ばなか」
 小学校の途中まで東京に住んでいた直樹は、意識すれば“標準語”で喋れる。そんなことにも、なぜか高志はいらついて割り込んだ。
「そいじょんが学校なつぶされ、友達もばらばらたい。俺らサッカー部だったんよ。こいはマネージャーね。全国大会ん出場ば決まったとに、廃校ば理由ん取り消し。最后ん出場やらいうて南美町が注目されちゃー都合が悪かと。プロめざしてたもんな、行けても二部たい。サッカーだけじゃなか。バラバラにあたらしか土地へ行って、みんな頼るもんもなく苦労しとる。親が仕事んつけんで学校やめたもんもおるし。なして南美町んもんだけが、こがんいたらん目にあうと?」
「……まあ、そういうふうに、生活を狂わされてしまった人たちを、僕らはいろいろ知ってるから」
 直樹がおだやかにまとめる。
「消えた南美町のことは、マスコミもまったく取り上げようとしないんだ。だから、世界中に中継される式典で訴えたい」
「どうやって、ですか」
「セレモニーん最中にけったくると!」
「高志、しゃあしい」
 高志を軽くにらんで、直樹は苦笑した。
「いや、式を妨害したいんじゃないんだ。そもそもそんなこと僕らにできっこない」
「あたしたちは伝えたいだけね。地図ん上だけで計画ば考えた加藤ん演説ば、黙って聞いてなんていられんね」
「僕らがのりこんで行っても、できればちょっとの間でいい、鉄人を動かさないでほしい。それだけなんだ。そりゃあ命令違反なんてできないだろうけど、なんとなくもたもたするとか、故障したことにするとか……。いや、無理なことを云ってるのはわかってる。だけど、僕らはロボットを持ってるわけじゃないし、拡声器ひとつで話をするだけなんだ。ほんの数分、いや1分でいい。鉄人が出てきたら逃げるしかないし……それに、鉄人は平和の象徴だ。僕らはきっと悪者扱いされて終わりだろうからね」
「はなし」
「え?」
「話をする。それだけですね?」
 正太郎が、ゆっくりと云った。
 一瞬言葉を失って、直樹はやっとまばたきをした。
「うん……、誓うよ!」
 高志はあらためて、正太郎をみつめた。目の前にいる少年が、自分よりいくつも年上であるかのような錯覚。これはなんなのだろう。
「あなたがたに危険はないでしょうか。式典にのりこむとなると……」
「僕らは捕まるくらい覚悟のうえだよ。と云ってもそんなに重い罪にはならないだろうし、注目を集められればいいんだ」
 正太郎は一拍だけ黙って、息をついた。
「わかりました」
「え?」
「鉄人は動かしません。約束します」
 まさかほんとうに正太郎が承諾するなどと、誰も思っていなかった。こんなめちゃくちゃな計画に協力する義務も理由もないだろう。夢でもみているのかと、高志はついかたわらの男をうかがったが、直樹でさえ呼吸を忘れたように呆然としている。
「……けど、けど大丈夫と? そんこと、して」
 美香子がふるえる声で云う。
「ぼくはべつに、なにも。でも、鉄人じゃなくて、機動隊が動く話かもしれませんよ」
「人間相手なら平気さ。全国レベルのフェイントを見せてあげるよ」
 ほころぶように笑った正太郎は、急に歳相応の子どもに戻ったようで、くるくると印象が変わるやつだと高志が思う。そして、鉄人28号をこの少年が操縦しているということが、不思議ととても納得できるのだった。
  「でも、加藤さんは困るでしょうね」
 なにかを思い出したように、正太郎がくすくす笑う。高志も急におかしくなって、小さな背中をおもいきりたたいた。
「正義ん少年・金田正太郎っちゅうたら、もっと堅いおもーとったな。いやあ、“加藤さん”はよかー」
「え……?」
 今や時の人である運輸省長官をさんづけで呼ぶ少年は、感心される理由がわからないらしく、きょとんとした顔で高志を見た。
「加藤さんから今日ずいぶん空港の話を聞きましたけど、南美町のことには、ぜんぜん触れませんでした」
「じゃろじゃろー」
「でも、命令ば無視したら、あなたん立場がまずくならんと?」
 まだ心配そうな美香子に、正太郎が首をふってみせる。
「あなたたちが暴力をふるわないなら、問題ないと思います」
「よし。……決まりだ」
 興奮をおさえきれず、直樹の声がふるえる。感激屋の瞳がすこし熱くなっているのを正太郎も目敏く気づいたらしい。やさしい微笑みがうかぶ。直樹は立ち上がった全員を見回してから、照れくさそうに少年へと右手をさしだした。
「正太郎くん。ありがとう」
 つられて手をさしのべて、高志が握り返された手の小ささに驚く。そのぬくもりに、あらためて実感させられる。金田正太郎は、自分たちと変わらない普通の人間で、そしてまだ中学に通う子どもなのだった。

「なんち……信じられん」
 高志のつぶやきを聞きつけて、直樹が嬉しそうにのぞきこんできた。
「そいけん云うたと。オイん目はたしかじゃろ」
「ふん。やかましか」
「よか子ねえ。そいにさすが、しっかりしとると」
 美香子に笑い返して、直樹が立ち上がる。
「そいじゃ、明日は六時集合やっけん」
 高志は急に現実にかえって、全身かなしばり状態に陥った。
「じゃ……、おい美香子。暗いけん送ると」
 視線をただよわせながら、ひとつ咳払いをしてやっと云う。
「なあん大丈夫。あんたが一等遠いくせに。より道しないで帰らんといかんよ」
 からからと笑い、美香子は窓枠を乗り越え手をふった。
「おやすみ」
 しばらくの沈黙。直樹が、うかがうように高志を見る。
「おい……、うちん泊まるか?」
「おふくろが心配するけん、帰ると」
 高志は目一杯不機嫌に云い捨てた。
「まだ……、云うてなかとね」
 直樹の言葉に、窓枠にかけた手を止める。
「明日が終わったら、もうえっと会えんじゃろ。はよう……」
「云うた」
「え?」
 ふりむいた高志は、自嘲するような笑みをうかべた。
「ほかにいるんだと。惚れちゅうやつ」
「ええっ、だ……誰だ? そいつ」
「知るか」
「ばってん」
 直樹は、自分がふられたような顔をしている。
「どがんしゅう? そん相手、聞きだしちゃろーか」
「は?」
 おひとよしで誰からも好かれるこの主将は、高志がいくら罵詈雑言を浴びせても、ひとを親友扱いするのをやめようとしない。高志は、短いため息をもらした。
「あほ。もう俺んことはうっちょくと」
「高志」
「遅刻はせんよ。そいじゃ、さいなら」

 叫びだしたい気分のまま夜道を思いきり駆けぬけ、私道からかなり外れた山腹で、高志はようやく足を止めた。肩で息をしながら空をあおぐと、細い三日月がうかんでいる。降るような星空が、うすい月光をかき消すようにまたたいている。
「へーさ……、あほやなあ。鈍いっちゅーか」
 大きな溜息がでる。
「美香子ちゃんな、主将ば好いとっと」
 言葉にしてしまうとすこし気分が晴れた。またかるく息をつく。
「あんちっしょ、云わんかったら絶対気づかんな。……どうしたろ」
 直樹を嫌っているわけではない。拾われっ子だと、八分にされていた小学校時代、転校してきた直樹が、はじめてできた高志の友達だった。サッカーを教えてくれたのも直樹だ。ただ、きつい練習の中で明るくみんなを励ましてくれた少女にいつのまにか抱いていた恋心を、直樹が相手なら勝ち目はないと、すっかりあきらめてしまっている自分に腹がたって、やつあたりしているにすぎない。
「正直もんが、ばかを見る……と」
 朝から晩まで夢中になって練習したチームは、とりあげられてしまった。今の両親が雨に風に守ってきたみかん畑は、削られさら地になった。大切に思ってきた人は、もうすぐ親友のものになるのかもしれない。
「俺ば捨てたおふくろん気持ち、今ならわかっと。人生いやになったとやろ」
 笑おうとして、高志はふと街の灯りを見やった。
(あん子も、思いっきし、ばかを見てそうな奴やったな)
 あたたかな手のぬくもりが、よみがえる。
 金田正太郎は、どうして鉄人の操縦なんかしているのだろうか。今まで考えもしなかった疑問が、正太郎を知って、はじめて浮かんでくる。大人にいいように使われているんじゃないだろうか。だいたい子どもだったら、夏休み最後の数日を謳歌している時期だろうに。
「俺たちば話まで真剣ん聞きよる……。きっと、しなくてよか苦労ばしょいこむ口と、あいは」
 たかだか三人集まって、いったい何ができるのかと、実際今日まで高志も半信半疑だった。地元の警察に目をつけられるくらいの騒ぎは起こしてきたが、金田正太郎と会ってみてはじめて、自分たちがやろうとしていることの大きさを実感した。
 過ぎたことをいつまでも騒ぐものではないと、親にもさんざん説教された。自分を育ててくれた養父母にどれだけ迷惑をかけることになるだろう。怒りやくやしさの重みが、今では後悔と同じくらいになっている高志だったが、式典の目前で逃げ出すわけにはいかない。それに、東京へ引越すことが決まった美香子と一緒にいられるのも、たぶん明日が最後なのだ。
 とにかく、なにも訴えられずに終わってしまうようなことだけはできない。成功すればなんとかなる。高志は不安をふりはらって歩きだした。すっかり遅くなってしまって、親が気をもんでいることだろう。明日の朝こっそり抜けだせるように、いろいろ準備もしなければならない。
「あん正義ん味方も、こん時間に抜けだして大丈夫とやろか」
 突然まばゆいライトにつつまれて、高志は立ちすくんだ。
「だれだ。そこで何をしている」
 おどろいて振り向くと、懐中電灯を向けているのは小柄な影だった。
 しわがれた声、長めの髪の白さを見るに、かなりの歳にみえるが、老人はしゃんとまっすぐ立ち、目には鋭い光がある。
「わいこそ……なんばしょっと」
 老人は低く笑いながら、あごをしゃくってみせた。
 そちらを見ると、星空を食いつぶすように、森の一角が大きな影におおわれている。驚いて高志が目をこらす。
「祭りの準備だよ。型通りの式典など退屈なだけだからな」

 かすかな音がして、正太郎は身をすくめた。しばらく待ってから、重い扉をそっと押す。部屋にすべりこんで扉をしめ、手さぐりで鍵をテーブルに置き、暗闇のなかで小さく息をつく。突然オレンジの光につつまれ、正太郎が驚いて振り向く。
 敷島大次郎は起きていた。まだネクタイもしめたままで、ベッドに腰を降ろしている。
「おかえり」
 溜息をつくような声だった。
「ただいま。……あの、遅くなりました」
 笑顔をつくろうとして、正太郎はすぐ困ったように大次郎から視線をそらしてしまう。
「いったいどこへ行っていたんだい」
「……あの、……ちょっと、その辺を歩いてくるって……」
「こんなメモ一枚残しただけで、こんな時間まで出歩いて、ただの散歩だったというのかね」
 沈黙が流れる。しばらくして顔をあげた正太郎は、真剣な目をして大次郎をみつめた。
「すみません。なにもきかないでください。博士は、知らないほうがいいと思います」
「わたしが、それで納得できると思うのかい」
 大次郎の厳しい口調に、正太郎ははっとしたようにうつむく。
「……すみません」
「ここへきて座りなさい」
 向かいのベッドに腰掛けても、正太郎は黙って下を向いている。
 この頑固なところは父親似だ。ふとそう思うと、大次郎の厳しい仮面はもう剥がれてしまった。
「博士」
 顔をあげた正太郎は、大次郎のやさしい表情に驚いたように口をつぐんだ。正太郎くんに甘すぎる、とからかう大塚茂の口調がよみがえり、ちょっと苦笑して、大次郎が息をつく。
「正太郎くん。わたしはきみを信頼しているし、こうと決めたら、きみが絶対に意志を曲げないこともよく知っている。しかし、なにかわたしに協力できることがあるかもしれないだろう」
 じっとのぞきこんだ小さな瞳は、まだ困ったようにゆれている。
「きみが心配しているのは、わたしの立場かい? だとすると、明日の式典に関係することかな」
「…………」
 大次郎はまた溜息をもらした。
 同じ年頃の子どもより、よほど多くの責任を負わされているというのに、この子はまわりに気を使いすぎる、と。はがゆく思う反面、だからこそ守ってやらねばと思うのだ。
「どうか、話してもらえないだろうか。正太郎くん。わたしは、きみの味方だよ」
 正太郎は観念したように、すこし照れくさそうな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
 急に力が抜けてしまったように、大次郎は息をつき、両手にひたいをおしつけた。
「はかせ?」
「まあとにかく……、きみが無事でよかった」
 驚いてのぞきこんできた心配そうな瞳。そのやわらかい髪を確かめるようにすいて、大次郎は安堵したように微笑んだ。
「通信機を置いていったのは、わざとかい? じつはさっきまで、きみを捜しまわっていたんだよ」
「え」
「昼間、空港で見かけた人物が誰だったか、思いだしてね」
「誰、だったんですか?」
「……佐倉博士。あのチャレンジャー博士だよ」
 正太郎があらたまった表情になる。佐倉はそのむかし、鉄人より強いロボットを開発したと無理矢理挑戦してきた人物だ。人命救助を優先した正太郎に、なおも勝負を挑もうとして信用を失い、すっかりその名を聞かなくなっていた。
「べつに彼がなにをするとも限らないんだが。きみはいなくなってしまうし、まさかと思って……」
「それは……、すみませんでした」
「いや。杞憂でよかった。それで、きみの話のほうは……」
 正太郎は笑って、首をふった。
「大丈夫です。佐倉博士が係わってくるような話じゃありませんから。……わかりました。ぜんぶ、お話しします」

「高志……なんね、こい!?」
「みての通り、ロボットと!」
 高志が叫ぶ。直樹と美香子があっけにとられている様を機体の中腹から見下ろし、得意満面な笑みがうかぶ。頑強な装甲。光沢のある明るい朱色は、新車然と汚れひとつない。操縦席の内壁でなにか操作をすると、ロボットはその場に膝を折りながら、巨大な手のひらをゆっくりと地面すれすれに降ろした。そこから飛びおりて、高志もほれぼれとロボットを見上げる。
「俺たちん賛同したっちゅう、じいちゃんが貸してくれたばい。こい超大型スピーカーな、加藤んこまくば破るぐらいふとか声ば出せる」
 美香子が高志につめよった。
「じーちゃんて、誰?」
「さあ。昨日会ったと」
「信用できるん?」
「たったひとりで式典ば乗り込もうとしゆう。若者がびびってどがんしゅう?」
「そん人、どこばい」
 直樹が、高志の肩をつかんだ。
「そいけん俺を信用して、こんロボットば貸してくれたんじゃ。借りておきゃあよか。じいちゃんほんなこつ歳なんよ。楽させてやろーじゃなかね。あんボロ拡声器と比べる余地なか。そいに目立つし。こいならフェンスもひとまたぎばい。楽々逃げれる」
「いかん」
 怒鳴るような直樹の言葉に、高志が驚いて口をつぐむ。
「こいば使えん。最初ん計画通りでいくぞ」
「なんば……、きさんエラそうに!」
 胸ぐらをつかんだ高志の手をつかみ止め、直樹が冷静に見返してくる。
「高志、ちっと落っつけ。よう考えとっと。そんじーさん、ほんに信用ゆっちゅう思うと?」
「善良そうなじーさんや。なーんびびっとっと、ひょったくれ!」
「こがんロボットでのりこんだら、あん子が困るじゃろ。約束ば違えることになる」
 高志がはっとして手を離す。これなら失敗しない、そればかりを考えていた。しかし直樹がついた溜息にすべてを否定されたような気がして、高志の思考が吹き飛ぶ。
「きさん、いっつも……」
「ちょっと、もう九時ばい!」
 声をあげた美香子へと視線が移ったと同時に、直樹は高志につきとばされていた。
「もうよか! 俺ひとりでしゆう!」
 ロボットの手に、高志がひらりと飛び乗る。
「チャレンジャー!」
 高志が叫ぶと、赤い手のひらがゆっくりとまた上がりはじめる。その親指へ手をかけ、直樹もころげ込む。
 ふたりの云いあう大声は、そのまま操縦室へと移動した。
 呆然と見守っていた美香子を、熱風が襲う。大きな地鳴りとともに、ゆっくりと宙に浮いた機体は、爆音を残して西の方角へと飛び去った。

 吹奏楽団が行進をはじめた。滑走路の中央に置かれた銀色のシャトルにつきしたがうように、鉄人が配置されている。
 アクロバット飛行が描く色とりどりの煙を、滑走路の両脇をうめつくしている十万近い人々が歓声と拍手で迎えた。赤い絨毯敷の壇上に、司会を務める有名な俳優が現れると、ひときわ高い歓声があがる。
 だれも見むきもしないフェンスのむこうには、はるか彼方の海岸まで、堀り返された土ばかりの平原が広がっている。ほんの一年前には人々が生活を営んでいたはずの空間は、これから施設の拡張にともなってすべて塗り込められてしまうのだろう。荒涼とした光景をながめながら、正太郎はひとり、そっと息をついた。
 滑走路に面したこの仮設の部屋は、整備用の通路を仕切って作られている。雲ひとつない青空からふりそそぐ熱気は、部屋のなかにも容赦なく侵入していた。
「なんて暑さだ」
 すでに全身汗だくといった感じの大塚茂があらわれて、まず文句を云う。
「これじゃあ正太郎くんが沸騰しちまうわい」
 大塚が滑走路側の扉を開け放つと、一瞬だけ涼しい風が入ってきた。どこか心ここにあらずといった様子の正太郎と、その脇に置かれた閉じたままのVコンを見て、大塚がなにやら満足そうな笑みをうかべる。
「正太郎くん、たいくつじゃろう」
「いえ。……でも、外で立ちっぱなしの鉄人が、かわいそうですね」
「そうじゃなあ。あと二時間もあのままじゃ、溶けてしまうかもしれんぞ」
 おどけて云った大塚はふと、そばの監視モニターに見入っている大次郎に気がついた。
「敷島博士、どうかしましたか」
 大次郎が無言で立ちあがり、開け放った扉から滑走路のほうへ身をのりだす。大塚はあわてて後を追った。
「博士?」
「警部。あそこへ行かせてもらえませんか?」
「……関係者席へですか。またどうして」
「いまカメラに一瞬、佐倉博士が映ったんです。じつは昨日も空港で見かけまして……。まさかとは思うのですが」
「さくら? だれでしたかな、それは」
「博士、ほんとうですか?」
 正太郎が緊張した面持ちで立ち上がった。
「警部、ほら、チャレンジャー博士ですよ。鉄人に挑戦して、ギネスブックに載ろうとした……」
「ああ……、ええっ?」
 大次郎がうなずいてみせる。
「なにごともなければいいんですが。念のために、ただの見物で来ているのか、確認しておくべきだと思いませんか」
「思いますよ、そりゃあ」
「こことつながる無線機を、お借りできますか」
「え、ええ。そこいらで誰かのをぶんどってきましょう」
 大塚があわてて駆けだしてゆく。大次郎はおちついた表情で、正太郎の耳元へ顔をよせた。
「博士がなにかしかけてくるなら、彼らを巻き込まないために鉄人を動かす必要があるかもしれない。頼んだよ」
 うなずいて、正太郎が壁の時計に目をやる。約束の時刻はもう間もなくだった。

 

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