名犬ラッシー 〜 ショートSS 〜
■ ひ と り ■ キャラクロー真砂也
コリンが風邪をひいて、もう5日も学校を休んでいる。
帰りに見舞いに寄ったら、コリンは寝てるのにうんざりって感じだった。でもまだ熱があったし、ぼくは早々に帰ることにした。
椅子から立ち上がると、コリンがすごく淋しそうな顔をして、だからなんの気なしに、ふと思いついたんだ。
「おいラッシー。おまえは、まだここにいな」
「……ジョン、いいのかい?」
コリンが笑顔になる。
「夕飯になったら、“もう帰れ”って云ってやって」
「うん! ありがとう、ジョン」
ラッシーは、ボクを見上げて、ものすごく嬉しそうなコリンを見て、積みあがった本の間にまたゆったりと腰を降ろした。こいつは、この部屋がけっこう居心地いいらしい。いつも静かにしてるし、おいてっても大丈夫だろう。
「じゃあね。はやく学校おいでよ」
「うん……。ジョン、ありがとう」
階段を降りている間にも、またコリンの“ありがとう”という声が聞こえた。
家に着くと、お母さんはいなかった。仕事つづきだったから今日はお休み、って朝は云ってたのに、急患がでたらしい。鍋に夕飯ができていた。
だれもいない、静まりかえった家のなかを見まわす。
ひとりぼっち。
なんだか、なつかしいくらいひさしぶりだ。
ラッシーが来るまえは、こんなことはしょっちゅうあった。今はいつでもラッシーがいるから、ぼくは、ひとりが淋しかったことなんか、もうすっかり忘れていた。
「ちぇ」
こんなことなら、もうすこしコリンのところにいればよかった。お店があるからおじさんたちは昼間ほとんどコリンをかまってくれない。寝込んだらコリンは本を読むしかなくって、だから部屋には本がいつも山積みになってて。でもずっとこもりきりで、いくら本があっても、コリンはひとりで淋しかったはずだ。それなのに、ぼくはたいした用もないのに、すぐに帰ってきちゃって……。
自分が淋しくなったもんだから、ぼくは、はじめてコリンの気持ちを考えた。
だいたい、ぼくはめったに風邪ひかないから、ずっと寝てなきゃならない大変さがぜんぜんわからなくて、あの部屋が居心地悪いっていうか、つい騒いじゃって、いちゃいけないような気がして、すぐに帰ってきちゃうんだよな。
コリンは大事なともだちなのに。
……だから、ラッシーをおいてきてよかった。そう思う。
暖炉の前にぽっかり空いた空間。そこにいない存在感は、びっくりするくらいおおきかった。一緒にいたら、べつにラッシーがなにをしてたって気にも止まらないのに不思議だ。
ラッシーはどうしてるだろう。黙ってコリンの話をきいているだろうか。気持ちよくうとうとしてるとこかもしれない。
きっとあいつは、ぼくがいなくたってぜんぜん平気なんだ。
おもいきり足音をたてて2階へあがり、ベットのうえで大の字になる。
夕方まで、まだまだ時間があった。読みかけの本を読んじゃうとか、部屋の片づけをするとか、お母さんのところへ行ってみるとか、いろいろやることはある。それともサンディーんとこの干し草積みをのぞきに行ってみようか。
でも起きあがる気にならなくて、寝ころがったまま枕元の本をひらいて、すぐに放りだす。
どうして、こんなに嫌な気分なんだろう。
ぼくは、なんか怒ってるみたいだ。
なにに?
ラッシーをおいてきたのは、ぼくだ。
お母さんがいないのは仕方ない。
天井に向かって、ため息をつく。
わかってる。
きっと、ぼくが怒ってるのは、ラッシーが素直にコリンのところに残ったから。ぼくがこんなに淋しい思いをしてるのに、ラッシーはそうじゃないからだ。
でもラッシーは、ぼくが云ったから残ったんだ。それで怒られちゃ、割にあわないよなぁ。
「ごめん、ラッシー」
つぶやいて、目を閉じると、小さな声がした。
起きあがって、ベットから飛び降りる。
階段を駆け下り玄関をあけると。
「ラッシー! 帰ってきちゃったのか」
しっぽをふって、ぼくを見上げたラッシーは、さっき吠えたときに落としたらしい白い封筒を地面からくわえあげた。
「コリンから?」
ラッシーを部屋へ入れながら封筒をちぎる。1枚、便せんが入っていて、やっぱりコリンの字だった。
『ラッシーが帰りたそうだから、はやめに帰します。どうもありがとう。 コリン』
「………おまえ、帰りたがったのか? 駄目じゃないか」
怖い顔をしてみせようとしたのは失敗だった。苦笑いで片ひざをついて、目線をあわせて頭をなでてやる。
「コリンは、ひとりぼっちで淋しいんだぞ。そりゃあ……、ぼくも、淋しかったけどさ」
首いっぱいに腕をまわして、ぼくはラッシーを抱きしめた。ごわごわするぬくもりに頬をあてると、ラッシーがなにか尋ねるように細い声をあげた。
さらにぎゅっと抱きしめてから、やっとラッシーを離してやる。
「これじゃ……、ぼく、小さい子どもみたいだ」
照れくさくなった。
お母さんがいると思ったから、不意打ちだったんだもの。へんな言い訳を考えて、ひとりで笑ってしまう。ラッシーが首をかしげている。
なんだか、思いっきり駆けだしたい気分になった。
「じゃあさ。夕飯まで散歩に行こっか!」
ラッシーが短く吠える。
扉を開けたところで、でもぼくは立ち止まった。
ラジオの横に置いた白い封筒を、ふりかえる。
(どうもありがとう。)
淋しそうな手紙の言葉を思い返す。
あんなに嬉しそうだったのに、かえって悪いことしちゃった。
ラッシーはおとなしく、ぼくを見上げている。
「そうだ!」
また2階に駆けあがって、ぼくは、さっきベットに放り出した分厚い本を、一緒についてきたラッシーに見せてやった。
「ほら、これコリンから借りてるんだ。まだ半分しか読んでないけど、読んじゃったことにしてさ、返しに行こうよ!」
ラッシーはまた首をかしげている。
「感想、きかれるかなぁ……。まぁいいや」
本にはさんでおいた栞をひきぬいて、机に放る。
「ね。それで、またちょっとお見舞いしてこようよ。今度はぼく、静かにしてるからさ」
ラッシーがしっぽをふって吠えた。
コリンはどんな顔をするだろう。なんだかおかしくなってきて、笑いながら階段を駆け下り、玄関からとびだす。ラッシーはぴったりぼくについてきた。
「ジョーン」
遠くから呼ばれて、ふりかえると、道を下ってくるのはお母さんだった。
「おかえり!」
やっぱりお母さんは仕事の白いエプロンをしていた。ぼくのところまで来て、やさしく髪をなでつけられる。
「ただいま。ごめんね、トーマスさんの赤ちゃんが熱をだしたのよ。でももう今日は大丈夫。ジョンは出掛けるの?」
「うん。コリンのとこ。本を返しにいくんだ」
「あら、じゃ熱が下がったか訊いてきてちょうだいね」
「まだすこし高かったよ。学校の帰りにも寄ったから」
「あらあら、じゃまた行くの」
「だから、本を返しにいくんだってば」
お母さんは肩をすくめて、手を離した。
「暗くなるまえにもどるのよ」
「はい」
しっぽをふって座っていたラッシーが、短く吠えた。
「わかってる。いま行くって」
「ラッシーもつれてくの」
「だってこいつ、ぼくと一緒じゃなきゃ淋しがるんだもん。まだまだ子どもなんだ」
「あら、まあ」
お母さんは、ちょっとおかしそうな顔をして、ぼくの背中を勢いよくたたいた。
「じゃ、いってらっしゃい」
坂を下ったところでもう一度お母さんに手をふってから、ぼくらはコリンの家まで競争して走った。
コリン、おどろくかな。
二度も見舞いにくるなんて、ってあきれるかな。
笑うかな。
ながい舌をたらしながら隣を走るラッシーが、続けて吠える。
「こら。びっくりさせるんだから、しずかに!」
息をきらしながら、ぼくも、くすくす笑ってしまう。
しずかに、ゆっくり、話をしよう。風邪がなおったらムーアへ行く計画をたてて。ひさしぶりにグッドマンさんの水門まで行くのもいいな。
まだ太陽は鉱山の上のほうにある。
ラッシーと並んで、ぼくは広場に降りる階段を、駆け下りた。
コリンの家はすぐそこだ。
(おわり) 2004.10.20 UP
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